合笑組くにたち公演こぼれ話。

大学時代は結構いろいろアルバイトをやった。台東区の靴工場の仕上げ工が一番長かったかな。「あしたのジョー」の舞台にも近く、「泪橋」「玉姫公園」など聖地巡りをしつつ通った。


あと、長距離トラックの助手、スーパーの夜間品出し、駅員、予備校の試験監督、生花市場の運搬員などなど。


ちょいとヤバめの仕事もあった。勤務先は「神室町(仮)」。



時給がいいというので大学の友達に誘われてやった。終電から始発までの深夜勤務で服装は黒ズボンに白ワイシャツ・棒タイに黒ベストまたは赤ベスト。


なにがヤバめかというとあまり具体的には書けないけど、お客に反社会勢力の方々が多かったというだけでなく、僕が辞めた後だが従業員から複数の逮捕者がでたりその事業所そのものも「お上」にお取り潰しになったということで類推してください。。


僕は都合により早めの退職だったが、あのまま長くいたら絶対流されて道を踏み外したな、きっと。


昨日、合笑組国立公演に来てくれてその後サイゼリアに一緒に行った旧友こそが、そのヤバいバイトに誘った「大学の友達」なのである。彼も逮捕されることなくちゃんと卒業、就職、結婚しているが、案外、紙一重だったのではないかと読んでいる。昨日、その辺も追及したかったが、時間切れとなった。ぜひ次回。


 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

サラリーマン時代。


まだ、バブルの空気が残っていたころ。


そのころ「さん付け運動」が猖獗していた。上司を「〇〇部長」「〇〇課長」ではなく「〇〇さん」と呼ぼうというもの。職階の差を超えてフラットな組織を作ろうというコンセプトだったのだと思う。


僕がいた会社でも、有力な役員が旗振りをしたせいもあってか採用する部署が結構あった。


僕自身は「いやだなあ」と思って自分の部署にその波が来るのを恐れていた。


隣の部署も「さん付け」を推進するようになる中、僕の所属の部長は「うちは採用しない」と毅然として言い放った。



曰く「“さん付け運動”は部下に負担をかける」と。


役職名で呼ぶことで「敢えて上司と適切な距離を置く」ことができなくなるということ(昨今でいうと、上司からフェイスブックの友達申請が来たら困るよね、って感じ)。そして、部下に「さん付け」で呼ばれて民主的な気分、フラットな組織の気分になるのは「偽善、欺瞞」であると。


僕が「いやだなあ」と思っていたのもまさしくそこだった。「役職名で無く“さん”で呼ばれたい」という上司には偽善と欺瞞と自己満足を感じたし、上司を「さん付け」で呼ぶことで「フラットな関係の進んだ職場にいる」と感じたり「上司と対等に話せる自分」に酔えるほどおめでたくもなかった。


案の定、「さん付け運動」は予想通り数年で下火になった。


件の部長は非常に厳しい人で僕もよく叱られたが徹底的に仕込まれたことがある。


それは「神は細部に宿る」という言葉。


仕事には常にそれが求められた。今でもつい「まあいいやこのくらいで」などと低きに流れそうになったとき、この言葉を思い出す。


僕が今でも、ろくな努力もせずに「まぁなんとかなるよ」などと軽々しく言う人をついつい軽んじてしまうのはそんな影響があると思う(大抵の場合、「なんとかなった」のではなく「なんとかしてくれた人」がいたのである。でも「まぁなんとかなるよ」なんて言える人はまずそれに気づかないのである。そこが悔しいのであるが)。


その部長、もちろんすでに退職されているその人が昨日、合笑組国立公演に来てくれて、そのあとの打ち上げまで付き合ってくれたのは嬉しい限り。でも、その知的な雰囲気と洒脱さで、妙にモテていたのがちょっと妬ましかったりもするのである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨秋、全国放送の街番組でレポーターさんが来店されたことがあった。その時出迎えたのが、ビブリオを練習場所としてしばしばお使いになる一橋大学落語研究会の皆さん。



この中のお一人が昨日、手伝ったくれた粋人亭志ん喬さん。


来週には富士見台の「KFまちかどホール」で落語会があるそうだ。




お近くの方はぜひ行ってあげてください。無料(投げ銭)です。


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合笑組くにたち公演こぼれ話。

大学時代は結構いろいろアルバイトをやった。台東区の靴工場の仕上げ工が一番長かったかな。「あしたのジョー」の舞台にも近く、「泪橋」「玉姫公園」など聖地巡りをしつつ通った。


あと、長距離トラックの助手、スーパーの夜間品出し、駅員、予備校の試験監督、生花市場の運搬員などなど。


ちょいとヤバめの仕事もあった。勤務先は「神室町(仮)」。



時給がいいというので大学の友達に誘われてやった。終電から始発までの深夜勤務で服装は黒ズボンに白ワイシャツ・棒タイに黒ベストまたは赤ベスト。


なにがヤバめかというとあまり具体的には書けないけど、お客に反社会勢力の方々が多かったというだけでなく、僕が辞めた後だが従業員から複数の逮捕者がでたりその事業所そのものも「お上」にお取り潰しになったということで類推してください。。


僕は都合により早めの退職だったが、あのまま長くいたら絶対流されて道を踏み外したな、きっと。


昨日、合笑組国立公演に来てくれてその後サイゼリアに一緒に行った旧友こそが、そのヤバいバイトに誘った「大学の友達」なのである。彼も逮捕されることなくちゃんと卒業、就職、結婚しているが、案外、紙一重だったのではないかと読んでいる。昨日、その辺も追及したかったが、時間切れとなった。ぜひ次回。


 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

サラリーマン時代。


まだ、バブルの空気が残っていたころ。


そのころ「さん付け運動」が猖獗していた。上司を「〇〇部長」「〇〇課長」ではなく「〇〇さん」と呼ぼうというもの。職階の差を超えてフラットな組織を作ろうというコンセプトだったのだと思う。


僕がいた会社でも、有力な役員が旗振りをしたせいもあってか採用する部署が結構あった。


僕自身は「いやだなあ」と思って自分の部署にその波が来るのを恐れていた。


隣の部署も「さん付け」を推進するようになる中、僕の所属の部長は「うちは採用しない」と毅然として言い放った。



曰く「“さん付け運動”は部下に負担をかける」と。


役職名で呼ぶことで「敢えて上司と適切な距離を置く」ことができなくなるということ(昨今でいうと、上司からフェイスブックの友達申請が来たら困るよね、って感じ)。そして、部下に「さん付け」で呼ばれて民主的な気分、フラットな組織の気分になるのは「偽善、欺瞞」であると。


僕が「いやだなあ」と思っていたのもまさしくそこだった。「役職名で無く“さん”で呼ばれたい」という上司には偽善と欺瞞と自己満足を感じたし、上司を「さん付け」で呼ぶことで「フラットな関係の進んだ職場にいる」と感じたり「上司と対等に話せる自分」に酔えるほどおめでたくもなかった。


案の定、「さん付け運動」は予想通り数年で下火になった。


件の部長は非常に厳しい人で僕もよく叱られたが徹底的に仕込まれたことがある。


それは「神は細部に宿る」という言葉。


仕事には常にそれが求められた。今でもつい「まあいいやこのくらいで」などと低きに流れそうになったとき、この言葉を思い出す。


僕が今でも、ろくな努力もせずに「まぁなんとかなるよ」などと軽々しく言う人をついつい軽んじてしまうのはそんな影響があると思う(大抵の場合、「なんとかなった」のではなく「なんとかしてくれた人」がいたのである。でも「まぁなんとかなるよ」なんて言える人はまずそれに気づかないのである。そこが悔しいのであるが)。


その部長、もちろんすでに退職されているその人が昨日、合笑組国立公演に来てくれて、そのあとの打ち上げまで付き合ってくれたのは嬉しい限り。でも、その知的な雰囲気と洒脱さで、妙にモテていたのがちょっと妬ましかったりもするのである。


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昨秋、全国放送の街番組でレポーターさんが来店されたことがあった。その時出迎えたのが、ビブリオを練習場所としてしばしばお使いになる一橋大学落語研究会の皆さん。



この中のお一人が昨日、手伝ったくれた粋人亭志ん喬さん。


来週には富士見台の「KFまちかどホール」で落語会があるそうだ。




お近くの方はぜひ行ってあげてください。無料(投げ銭)です。