川西政明『鞍馬天狗』

 半月ぶりの書評(読書感想文)だ。いかんいかんこれでは看板倒れになってしまう。

 「俳句は詠むけど本は読まん」なんてね。それか「ピン子は見るけど本は読まん」とか・・・。
 いえ読んでるんですよ。でも古書店でやっと見つけた絶版本をここで紹介してもしょうがないじゃないですか (って誰に言い訳してるんだか)。

  そんなわけで8月に発行されたこの本のご紹介。

 川西政明著『鞍馬天狗』(岩波新書)

鞍馬天狗

 鞍馬天狗と言えば、正統派時代劇ヒーローの代表であろう。だいたい今では小説ではなく映画やドラマでのみ知っている人が多いから当然だけど、単なる維新派の正義の味方というイメージが強い。でもそんな単純なことではないのである。

 大仏次郎は生涯に「鞍馬天狗」シリーズを47作書いている。そしてその中で、つまり第一作「鬼面の老女(大正13年)」から最終作「地獄太平記(昭和40年)」までの間に天狗は181人の人を斬っている。しかしその斬り方や斬る意識は時代によって変わっていくのだ。

 大義のためには手段を選ばないテロリストめいた時代もあれば、けっして止めを刺さない時代、峰打ちだけの時代、戦いそのものに逡巡する時代もある。それはそのときどきの日本社会の歴史観とシンクロする。さらに言えば、常に第一線の知識人であった大仏次郎歴史観、戦争観の揺らぎとシンクロするのだ。

 川西さんは看破する、「鞍馬天狗とは?人を斬る?ことをキーワードに無限に膨張する歴史を入れる器なのだ」と。

 時代は揺らぎ作者も揺らいでいるのだ。当然、矛盾や破綻は生じる。それらを埋めるという意味もあって、続いて執筆されたのが『天皇の世紀』ではなかったかと、川西さんは推理する。

 当然ながら、川西さんはこのシリーズ全47本を完読している。40余年にわたる執筆期間に持ってきて「揺らぎ」と「矛盾」である。これは大変な作業であったろうと容易に想像できる。

 しかしこの労作によって僕たち読者は、大正末期から高度成長期までの日本社会の、そして一人の知識人の歴史観、世界観のブレや変化を体感できる。川西さん自身の言葉を借りれば「無限に膨張する歴史を入れる器」に身を浸すことができるのだ。

 700円でこれだけ楽しめるんだもの。ほんとうに「本は安い」と思う。