堤堯著『昭和の三傑』

幼稚園〜小学校低学年の頃、朝の子ども番組「おはようこどもショー」が大好きで毎朝見ていた。

ある朝、いつものようにテレビのスイッチを入れてチャンネルを合わすと、いつも元気で面白い司会のキューピーちゃんこと石川進が、珍しく背広を着て真面目な顔をして座っていた。

あれ? なんで「おはようこどもショー」やってないんだろう。キューピーちゃん、なんで背広着ているんだろう?

時は昭和42年の10月、吉田茂死去による特別番組だったのだ。

享年89。昭和の巨星が落ちた。時に僕は6歳。唯一の吉田茂体験だ(なにしろ子どもの記憶なのであいまいだ。背広を着ていたのも、別のちゃんとした局アナでキューピーちゃんじゃなかったのかも)。

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   よく「日本国憲法」をGHQによる押し付けだと言う論調がある。だから早く改定して「自主憲法」を・・・と声高に続く。

でも本当のところどうなんだろう? 本当に押し付けなのかなぁ、とずっと思っていた。

  その疑問にひとつの答えを提示してくれるのが、この本だ。

昭和の三傑
   
    堤堯著『昭和の三傑』(集英社インターナショナル刊)

  いやー面白かったなぁ。「息もつかせぬ」っていうのかな、スピーディーでスリリングな展開に、通勤電車で一駅乗り過ごしてしまったほどだ。ともすれば心情的にもなりやすい話題で、事実そういう論客も多いのだけど、それを含めたいろいろな論調をジャーナリスティックかつ時にユーモラスに整理し、数々の資料を渉猟して論を進めていく・・・。上質のミステリーを読むような心持でもあった。

著者の堤堯氏は、元・文藝春秋の常務。非常に高名な編集者でジャーナリストだ。


ちなみにお名前は「堯」が正解。大抵のウェブサイトは「尭」をつかって、「堤尭」と表記しているが。(読みは、つつみ・ぎょう)


  で、「平和憲法」は誰が作ったのか。「GHQの押し付け」という通説を覆す推理がこの本にはある。鈴木貫太郎幣原喜重郎吉田茂の三宰相達が戦後日本の「悲劇」を救ったというのだ。サブタイトルに曰く、

憲法九条は「救国のトリック」だった”。

つまり鈴木、幣原、吉田の三傑が身体を張ってマッカーサーをペテンにかけたのだ。いずれアメリカは日本を、冷戦化世界戦略における尖兵として使いたくなるに決まっている、その目を事前につぶしておこうと考えたのだろうと筆者は推理する。出版元である集英社のPR誌に書いたエッセイに曰く、

憲法九条って実に巧みな条文だなと思います。これあるために日本人は戦争に駆り出されずに済んできた。古来、A国に負けたB国の戦力が、C国への侵略・制圧に使役される例は枚挙にいとまがないですよね。日本は朝鮮戦争にもベトナム戦争にも行かずに済んだ。現に韓国は最強のタイガー部隊をベトナムに出して、ベトナム人の恨みをかっている。日本はそれをしないで済んだ。憲法九条を盾にとって。いわば憲法九条は『救国のトリック』だったと思います」

マッカーサーは後年「早まった・・・」と思ったらしい。当時、「日本人12歳説」なんてのが喧伝されたけど、どうしてどうして、日本にはマッカーサーの上手を行く、粘り腰で老獪な交渉上手がいたのである。

戦後史の話は好きで(特に鈴木貫太郎のファン♪)、それなりに読んでいるほうなのだが、たぶんこの説が正解だと思う。非常に説得力があった。また、敗戦時に「一死、大罪を謝す」と書き残して自刃した陸軍大臣阿南惟幾についても認識を新たにさせてもらった。

憲法改正論議についてはここに書きだすとややこしくなるからここまで。だが、少なくともよく言われる「日本国憲法」をGHQによる押し付けだ、だから早く改定して「自主憲法」を・・・と続く論調が根底から覆されたことだけは間違いないだろう。


 
堤堯著『昭和の三傑〜憲法九条は「救国のトリック」だった』(集英社インターナショナル刊・定価1470円)