お眼鏡に適わない

 帰りの中央線での車中のことだ。

 ほどほどに込んだ車内に立つ僕のそばに一人の外人さんが立っていた。

 どこの国の人だろう、背はそんなに高くなく、ちょっとラテン系の雰囲気の若い男性だ。

 
 ずっと下を向いて本を読んでいたのだけど、突然バッっと顔を上げて周りを、というか周りの人を眺め回し始めた。何か困ったことでも出来したのだろうか。

 恥ずかしい話だが、僕は英語ができない。聞けないししゃべれない。読み書きだったらほとんど不自由はないんだけど(うそですよー)。

 話しかけられないように、彼とは逆に持っていた本に深く目を落とした。

 やがて彼の視線は、吊革につかまって居眠りしているおじさんを通過し、必死にケイタイメールを打つOLさんを通過し、スポーツ新聞に見入る青年を通過し、さらには僕を通過して、隅のほうで池袋の某有名書店のカバーを着けた本を読んでいる20代とおぼしきメガネの女性に止まった。

ホッ!よかった。通過してくれた。オレ英語ダメなんだよなぁ

 などと思っていたら、彼は流暢な日本語でにメガネのお姉さんに話しかけた。

「スミマセン、コノ「カンジ」ハ、ナンテヨムンデショウカ?」

・・・・・・・昔のマンガってどうして外国人の台詞をカタカナで書いたんだろうね。読みにくいったらありゃしない。面倒で読まずに飛ばしちゃうから、外国人の出てくるマンガは途中からストーリーがわからなくなっちゃうんだよね(僕だけかな?)。


閑話休題

  ラテン系の彼は流暢な日本語で言った(なんだ日本語しゃべれるじゃん)。

「すみません、この本の漢字はなんて読むんでしょうか?」(しかも読めるじゃん)

  おや? なんだ、新手のナンパかな? と思ったのだけど、漢字の読み方と意味を聞いて丁寧に礼を言った後は、くるりと彼女に背を向けてまた本に没頭し始めた。そうか、ホントに漢字の読みと意味を知りたかっただけだったんだね。

  それにしても漢字まじりの日本語の本を読むとはなかなか大した外国人青年だ。


  それはさておき、腹が立つのが彼の人選だ。なぜ彼女なのだろう。居眠りさんやメールちゃんやスポーツ新聞君は論外としても、なぜ僕ではないのだろうか。僕だって本を読んでいたのに・・・(さっきは素通りしてくれてホッとしたんだけどネ)。

  つまりはきっと僕の風体が、手にもっている本も含めて、漢字の読みと意味を求める彼のお眼鏡に適わなかったのだろうな。


  ちなみに彼が読んでいたのは古典SF「宇宙戦争」の和訳もの。かなり古そうな本だ。
  
  作者はH.G.ウェルズ。火星人が地球に攻めてくるというストーりー。後にこの小説を下敷きに火星人襲来のラジオドラマを作り、そのあまりものリアルさに悲観しての自殺者まで出したのが若き日のオーソン・ウェルズだ。H.G.ウェルズとオーソン・ウェルズ、偶然にも「ウェルズ」つながりだ。でも綴りは違っていて、H.Gは「Wells」、オーソンは「Welles」である。

  と、このくらいの薀蓄(うんちく)はスラスラっと出てくるというのに、彼のお眼鏡に適うことはなかったのである(涙)。