生涯の自慢 〜女神との遭遇〜

えー、今日は自慢話をさせていただきます。覚悟してお読みいただきたい。


昨日は木ノ内みどりさんのお話をした。いや、テレビアニメの話題から無理やり木ノ内みどりさんの話題に引っ張った。そういうわけで、木ノ内みどりさんの話をさせていただく。木内みどりではない。名前は似ているが違う。中山美穂中山美保ほどではないがだいぶ違う(関西限定)。

僕らの世代、45歳くらいから53歳くらいにとって、木ノ内みどりというのは特別な存在である。並みのアイドルではない。違うと言う人は・・・・、かかってきなさい。

山口百恵も凄い。それは認める。でも数々のヒット曲もあれば数々の主演映画もある。記憶と記録に残るのは当たり前だ。しかし、木ノ内さんは中ヒットの「横浜いれぶん」とB級30分ドラマの「刑事犬カール」だけである。それなのに引退して約30年経った今も輝きを失わない。これを女神と言わずしてなんと言おう。違うと言う人は・・・・、かかってきなさい。


で、何が自慢かというと、僕は木ノ内みどりさんに会ったことがあり、さらには言葉を交わしたことがあるのだ。

多分、1994年のことだったと思う。つげ義春夫人の藤原マキさん(1999年逝去)の個展が渋谷の画廊で開かれたことがあった。マキさんの絵本、「駄菓子屋」(ワイズ出版)の発刊直後だった。

その時は仲間内でいろいろ分担したのだけど、飾り付けのセンスがなく金勘定が苦手だど、人当たりだけはよかった(当時)僕は「ご案内係」になった。

その展覧会の初日にに来られたのである。木ノ内みどりさんが。

いや、一人で来られたわけじゃない。夫の竹中直人さんとお嬢さんと3人で来られたのだ。言うまでもないが、竹中さんは、つげさんの『無能の人』を初監督で映画化されている(マキさんはその映画に泉谷しげるの妻の役で出ている)。

その画廊は渋谷のちょっとわかりにくい場所にあって、ご一家はちょっと迷っておられた様子だったので、僕が駆け寄ってご案内したのだ。

「あ、竹中さん、会場はこちらです」

竹中さんはあの低いいい声で「ありがとうございます。」と言ってくれて、あとに続く木ノ内さんも軽やかに「ありがとうございます」と言ってくれて、ニコッとしてくれた。

その日の木ノ内さんは白のフレアスカートに紺のジャケット、ピンクのブラウスだった。

そりゃあもう、美しかった。当時ですでに30代の後半に入っていたと思うのだけど、アイドル時代と全く変わらぬ透明感があった。向こうの東急ハンズが透けて見えた(ほど)。


以上です。それではみなさん、おやすみなさい。