・・・・・・5月3日(2日目)の旅日記<6>・・・・・・・
そういうわけで、行き先を告げた僕に向かって三吉は素っ頓狂な声を上げた、
「えー? 露天風呂でバイト!?」
な、わけがない。露天風呂でバイトとはまるで「湯けむりスナイパー」である(遠藤憲一カッコイイ!!)。
そうじゃなくて僕が言ったのは、
「石炭の“露天掘り”を見に行こう。撫順は炭鉱の町として有名で“煤都(ばいと)”と呼ばれているのだ」
だ。
普通、炭鉱というのは地中深くトンネルを掘って石炭を採るものだけど、ここでは「露天掘り」と言って、地面から直接に擂鉢上に掘り下げていく。撫順にある「西露天鉱」は東西6キロ、南北2キロ、深さ300メートルという大規模な露天掘りだそうである。
かつてはかなりの生産量を上げ「石炭の都」、つまり「煤都」と呼ばれたほど。魔性の街・上海が「魔都」と呼ばれ、養蚕の盛んな八王子が「桑都」と呼ばれたのと同じだね。
幸いこの場所、「撫順戦犯管理所」から西露天鉱までは指呼の間、とまではいかないが遠くはない。「地球の歩き方」の地図によれば、この道をまっすぐ5キロほど南下した場所にある。
タクシーで行こう。あ、ちょうど来た。
「地球の歩き方」の当該ページの西露天鉱の写真を指し示すと、角刈りの運転手さんはちょっと考えた後、僕たちに「乗れ」と合図した。
調子よく飛ばす。この分なら10分ぐらいで着きそうだ。
僕はいつもの習慣で、地図と見比べながら進行方向を確かめる。そうそうひたすら南下。そう、撫順の母なる川「渾河」を渡ってさらに南下・・・。
と思ったら、車は大きく右に舵を切って西に向かい始めた。
えっ? 方向が違わないかい?
僕が何を言っても(日本語だけど)、運転手さんは「いいのいいの、こっちでいいの」と言って(多分。中国語だからわからない)取り合わない。
猛スピードで「渾河南路」を西に向かう。あっという間に「地球の歩き方」の地図のエリアから外れてしまった。
もう、こうなるとどこがどこだかわからない。いったい僕たちはどこに連れて行かれるんだろうか?
炭鉱のタコ部屋か。僕のみならずたった12歳の三吉まで。いや、昔、世界史の教科書で見たことがある。産業革命時のイギリスで12歳の子どもが採炭夫として強制労働させられている絵だった。体が小さいほうが炭鉱の狭いトンネルでは働きやすいのだ。
いや、しかしここは「露天掘り」だし・・・。
心は千路に乱れる。 いや、「千路」じゃなくて「渾河南路」だ。
いったい僕たちはどこに連れて行かれるんだろうか?
(続く)