瀋陽、右往左往 長征。南京路、中山路を往く。

・・・・・・5月3日(2日目)の旅日記<11>・・・・・・・

約2時間の午睡を経て再出発。三吉も元気をチャージできた。

午後の部は「中街(ちゅんがい)」へ行く。

ここまで何度かご紹介してきた、僕らが泊っているホテルに近い太原街は若々しい街でいわば新宿。対する中街は銀座。「故宮」の城下町として栄えた古い町で老舗が立ち並ぶエリアだ。

ホテルからの距離は4.5キロほど。当然、歩いていく。「地球の歩き方」の地図によれば、ホテルのある南京路を北上し、中山広場を西に折れてひたすらまっすぐ行けばいいようだ。


まずは、中山広場。ここはいわば街のヘソでいくつもの大きな道がこのロータリーを中心に交差している。シンボルは巨大な毛沢東像。

大いなるランドマーク。よく目立つ。


その正面に聳えるのが「遼寧賓館」。かつての「奉天ヤマトホテル」。石原莞爾板垣征四郎川島芳子がここで謀議に及んだことも記録に残っている。ネオンサインが余計だが、いまも往時の雰囲気を残している。


中山路に入る。目指す中街まではずっとオフィス街。大きな建物や由緒ありげな古い建物が並ぶ。これは中国のどこに行ってもそうなのだけど「工事中」が多い。古い建物が壊されている現場によく出くわす。

日本では、建物を壊した後の瓦礫の山は、きれいにデザインされた擁護壁などで巧みに隠されるのだけど、こちらではそんな「ムダ」なことはしない。廃墟や瓦礫がそこかしこに点在する。たとえばこんな感じ。


由緒ある建物も続けば飽きてくる。三吉またもやお疲れモード。しかし、中街が近づくにつれ、ちょっとずつ賑やかになってきた。美味しそうなレストランもある。

さらにしばらく行くと、巨大な西洋の騎士の石像が姿を現した。おおっカッコイイと写真を撮ったが、よく見るとセメント製で足先の方は風化して崩落、芯の鉄骨が見えていた。しかも落ち着いてよく見ると、西洋の騎士じゃなくて、近代の軍人かも。


台座に座ったグリーンのシャツが三吉。


ほどなく大門をくぐる。ここからが中街だ。観光客も増えてきた。島倉千代子じゃなくても、


「お祭りみたいに賑やかねぇ」って言いたくなってしまうね。



( 続 く )