甲州道夜歩き隊〈3〉都下編 未知の領域

4時30分

早朝の調布を歩く。たしかこの辺に僕と同じ名前のボーリング場があったはずだが・・・中古車屋になっていた。

威容を誇るのはキューピーの工場。もうトラックが出入りしている。24時間操業かな。


5時50分

調布は広い。やっと中心部に入った。布田駅近くのガストが24時間営業なのはリサーチ済み。さっき夜食を食べたばかりだけど、朝食の時間。

僕がモーニングセットで三吉はミート・ドリア。朝刊のサービスが嬉しいね。地域のニュースでキューピーの工場の門柱にあるキューピー像のコスプレについて書いてある。ああ、さっきよく見ておけばよかったなぁ。

僕がじっくり朝刊を読む間、三吉は横になって仮眠。中年のウェートレスさんはニコニコしてとがめだてしない。いいお店だ。眠気覚ましにコーヒーをがぶ飲み。朝食代941円。(日本橋から22.8キロ)


7時00分

居心地がよすぎて、ガストには随分と長居してしまった。先を急ごう。調布駅へのメインストリートには町のシンボルの鬼太郎像。

前回のツアーではここが最終ポイントだった。ここから先は未知の領域となる。(日本橋から23.7キロ)



7時50分

高速道路の下をくぐると、もうそこは味の素スタジアム。とてつもなく広い競技場だ。歩けども歩けども味スタ。

かつては米軍基地や米軍の住宅地「関東村」があった。金網の向こうのアメリカを遠く仰いだものだよ、昭和の子どもたちは。紺色のスクールバス、かっこよかったなぁ。

東京オリンピックのマラソンの折り返し地点としても有名。

味スタの隣ではなにか造成工事をしていた。大きな木を切り倒している様子。そのなかの一つの切り株が味のある形をしていた。内股の人が大木に寄りかかっているような形なのだ。

「名勝・内股の切株」と名づけよう。

日本橋から25.8キロ)


8時20分

味スタを越えると府中市に入る。白糸台を歩く。「台」と言うだけあって坂道が多い。近くには「車返団地」なんてのもある。地名の由来をいろいろ想像してみるのも面白い。

おお、それにしてもこの坂はきつい。と思ったら西部多摩川線との立体交差だった。


すると左の眼下の住宅街の真ん中にこんもりとした白い山。もしやこれは・・・・。

はたして掩体壕(えんたいごう)だった。

戦争中、航空機を敵の攻撃から守るために作られた格納庫、それが掩体壕だ。そういえば府中、調布にいくつかの掩体壕があるというのは聞いたことがある。

 味スタの場所は戦時中は日本軍の基地だったし、多摩川線の沿線には中島飛行機の工場もあったから、これは必然の存在である。

さっき調べてみたら、この場所はちょっと前まで私有地で、掩体壕は農業用の倉庫として使われていたそうだ。それが宅地化が進むなかで市有地となり、市の文化財となったそうだ。戦争遺産。

この道、車では何十遍も通っているけど、掩体壕のことなんて全然知らなかった。いやいや自分の足で歩いてみるものだなあ。

日本橋から25.8キロ)


そこから先は、車やバスで通りなれた道をひたすら歩くのみ。府中は広い。歩いてみると、いやになるほど遠い。


10時29分

府中市の西端のムラ、「西府」に日本橋からの「一里塚」があった。

ほほぉ、33キロか。よく歩いたな。ようやく府中も終わり国立に入る。上の写真の遥か後方、ファミマの奥のガストの看板、これがスカイラーク一号店なんだけど、ここからが国立になる。


通いなれた道を通って家に着いたのは11時20分。前の晩の10時ちょい過ぎに出発して、休み休みながら13時間の旅だった。歩行距離は約36キロ。

これでなんとか、日本橋から甲州市までつながった。


なかなかハードな旅だった。

まず「寝不足」がつらい。お互いテンションが下がる。

あと景色が見られない、人の暮らしや営みに触れられない。つまり旅の楽しみの多くが無い。やっぱり歩くなら昼間がいいなあ。


と、こんなシンプルな感想が、一晩中歩いての結論とは情けないんだけど、事実だからしかたがない。



<出費明細> 

朝食       941円

(合計 941円、累計4,173円)


そういうわけで、つらいわりにはの消化不良で、この夏最大のイベントは無事、終わったのでありました。






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