高架先生と呼ばれて、思わずクシャミ

と、そういうわけで高架の話ばっかりしていると、そのうち「高架先生」と呼ばれ
るようになり、謡曲の「熊野(ゆや)」を唸り出したりするのである。


「やはりこれは平の宗盛にて候」


を繰り返し、近隣のものに「そら、宗盛だ」と笑われるのである。


後架先生



って、俺は「苦沙弥先生」かっ!?


と、明治文学なボケをかましてみました。


『吾輩は猫である』


蛇足の解説は下記にて(反転してちょ)。



つまりね、高架と後架をかけたわけです。後架とはお便所のこと。『吾輩は猫である』の「苦沙弥先生」は謡曲が好きで、便所にしゃがんでは唸ってる。でも下手糞でしかも初心者むけ演目の「熊野」の冒頭ばっかり繰り返すものだから、近所の人に「後架先生」と笑われているわけです。明治語の「後架先生」を昭和語に訳すとやはり「トイレット博士」、でしょうね。



↑↑七年殺しっ!!


うむ、やはり蛇足であったか。





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