「神楽坂の師匠」誕生〜鶴澤寛也さん〜

畏友・女流義太夫三味線の鶴澤寛也さんがこのたび神楽坂に待望の稽古場を構えられた。そのお祝いの宴に駆けつけたのである、昨晩は。


6,7年前にも一度稽古場開設を検討したことがあって、一応地元と言うことで僕の知り合いの知り合いの不動産屋さんに探してもらったことがあった。そのときはいい物件が無くて断念した。

ネックになったのが「音」。音出しオッケーの物件と言うのは案外少ないのだ。


そして幾星霜。このたびようやく見つかったのだ。おめでとう。



集まったのは寛也さんの贔屓の3人のオヤジ。

筆頭はエッセイストの坂崎重盛さん。「性格のいい荷風」とも言うべき街歩きの達人。


そして、人形作家・写真家の石塚公昭さん。文学者の人形と寛也さんを「共演」させた作品を撮られている。

乱歩 谷崎 谷崎2

(↑↑それぞれの画像が作品ギャラリーの入り口です。↑↑)



末席は僕。付き合いの長さ(今年で多分30年)だけでは負けない、名も無きサラリーマン。


寛也さんの手料理に坂崎さんのお土産のシャンパンや美味しいお酒で深夜まで、家飲み大宴会。なにしろ「音出しオッケーの物件」ですから。


坂崎さんは高級シャンパンを持ってこられ、僕は昨日ご紹介した「神楽坂キティ」のハンカチと根付を持っていった。


ところで、「黒門町の師匠」と言えば桂文楽である。「柏木町の師匠」といえば円生、「稲荷町の師匠」といえば正蔵

これからは「神楽坂の師匠」といえば寛也さんのことである。志ん朝さんを「神楽坂の師匠」という人もいるが正しくは「矢来町の師匠」である。


実は神楽坂には、新内の鶴賀若狭掾さんがいらっしゃるので、正式には「神楽坂の女師匠」あたりが妥当な線かな。

そして若狭掾さんの家の近辺は「新内横丁」と呼ばれている。道を歩いていると新内が聞こえてくる風情のある界隈だ。だから寛也さんの稽古場の近辺が「義太夫横丁」と呼ばれるのを夢見たいね、僕の定年までに。

義太夫横丁をそぞろ歩いていると太棹の音色がデンデンと・・・。


あ、「音出しオッケー」なぐらい防音バッチリなのだから、それは難しいかな。




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