夏の浪速の芸尽くし(11) 銀閣寺門前 カフェ&燻房「銀の匙」

〔8月8日の日記 その4〕

そう、会いたかった人があったのだ。


銀閣寺門前のカフェ&燻房「銀の匙」。そこのご亭主がその人。昨年の秋、京都に出張に来たときにも銀閣寺の帰り (「銀閣寺に行く出張」っていったい・・・)に寄ったのだけどお留守だった。


結構、古い友達だ。多分、20年近いと思う。仲間内の温泉旅行で初めて会った。彼と歩いた山奥の早朝散歩は忘れられない。食べられる草や木の実を教えてくれて、もやしっ子でアウトドア志向がまったくない僕には得がたい経験だった。

元「ガロ」の編集者でマンガ家でイラストレーターでミュージシャンでクラフト作家で放浪の詩人で、ということだったがその真実は多羅尾伴内よりもわからない。今回も、ツレに「どういうお友達?」と聞かれて説明に困った。


その彼から「京都に店を出した」との知らせをもらったのは3年前のこと。しかし、「多分、京都って言っても山奥のほうなんだろうから(すごい先入観)、たぶん行く機会はないだろな」と思って、そのままだった。ただその店名「銀の匙」は気になっていた。誰やらの作に、


「泣きたくて銀の匙読む花曇」


という名句がある。誰だっけ? あ、俺か。

ま、つまり中勘助の『銀の匙』はとても好きな小説なので、印象に残っていた。


で、昨秋の出張である。銀閣寺の前の道を歩いていて突然目の前に現れたのだ、「銀の匙」が。

ここだったのかー。

思わず店の中に入ったのだが、あいにく彼は不在で会えなかった。まあ、別に何年も会ってないと言うことはなくって、去年の春の「劇画誕生50年を祝う会」でも深夜まで一緒に飲んでいるのだけどね。


とにかく今回はそのリベンジ。とは言え、彼の店に行くのはこの店が初めてではない。


ずっと以前、彼が信州の観光牧場で夏季限定の店を出していたことがある。ピエロの人形等クラフト作品を展示販売する店だった。なんか幌馬車みたいな店だった記憶がある。

あれは何年前だったんだろう。次男・三吉(仮名・中2)が生まれる前だったのは間違いない。15年くらい前だろうか。

長女・花子(仮名・高2)に聞いたら覚えてないという。まあ、小さかったから仕方がない。出発前に長男・虎太郎(仮名・20歳)に聞いたら「知らない」という。知らないとは情けなや。物心着く前にどこ連れてっても無駄だね、どうも。思わずツレに、


「こいつら覚えてないんだってさ、呆れたよ」


とぼやいたら、


「私も覚えてない・・・・」


ああ、情けない。こいつはまだ物心がついてないのか。



ってそんな話を、銀の匙亭主氏にはなしたら、


「えっ? 来たっけ?」


えっ? もしかして俺の妄想だったのか?


そんなことはない。その時、牧場のお店で買った版画作品が今も僕の部屋に飾ってある。これが証拠。



下に「95」と書いてある。ああ、1995年だったのか。



いかん、肝心の「銀の匙」のレポートを書く前にすっかり長くなってしまった。続きは明日。


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