分倍河原に初旅

リハビリの合間にリハビリ外出。外歩きの経験を重ねることも僕にとって重要なリハビリなのだ。


そうだ、行ったことない分倍河原(中河原の隣駅)に行こう。小さな旅だけど僕の初旅(年明け初の旅行のこと。お正月の季語)だ。


鎌倉街道を往く(病院は新道沿いにある)。文字通り、武蔵の国と相模・鎌倉を結ぶ。中野の北口には通称「キャバクラ街道」があるけど、それはまた別の話。


途中、気になる看板を見つけた。


「酒泥棒」である。「酒盗」なら鰹の塩辛だがそうではないらしい。イラストからさっするに、つまみは「ほていのやきとり」かもしれないが。



道中見つけた公園遊具。設計者は雲州人であろう。




一方、車止めはFBIに捕まった宇宙人のような顔をしていた。


雲州人と宇宙人。縁があってよろしい(島根の人ごめんなさい)。



やはり分倍河原と言えば「分倍河原の合戦」である。府中、国分寺、国立の人なら子どもでも知っている。新田義貞北条高時が戦い、鎌倉幕府崩壊のきっかけとなった。


そりゃ別にいいのだが、新田勢め、行き掛けの駄賃に由緒ある「武蔵国分寺」を壊して(焼いて)行きやがった。迷惑千万な話である。ちなみに新田軍、その前は多摩北部は埼玉県との境界あたりでの合戦に勝利し、その勢いで分倍河原に攻め登ったらしい。「元弘の碑」で知られるその合戦地、女流義太夫三味線奏者の鶴澤寛也師匠の実家の近くらしい。そう聞くとより残念な気がするのは僕だけではあるまい。



分倍河原駅前で雄叫びを上げる新田義貞像。


新田というくらいだから、上州新田郡(ごおり)三日月村の‥、ってことはないけど、上州、現在の群馬県土豪の首魁である。


だからいまだに僕は上州人に会うと「国分寺、焼きやがって」と思ってしまう(嘘ですよー、立川談四楼師匠。大好きです)。



病院から片道約1・5キロの小さな旅だった。<こしおれ>

初旅に怨みも聞こゆ古戦場