短日の歴史散歩

寄り道が過ぎた。

短日である。肝心の歴史散歩に入る前に日が落ちてしまう。先を急ごう。


鎌倉街道を小走りで北上。


もっとも「小走り」と思っているのは本人だけで、他人からは「手足バラバラに振り回して歩いてる人がいる」としか見られないだろう。



そして今回の歴史散歩の目的地である。「国史跡・武蔵府中熊野神社古墳」へと向かった。甲州街道を越えてすぐの「熊野神社」の境内。「遺跡銀座」と言われる府中市の中でも第一級の遺跡だ。


「府中のおはぎ」は僕の命名金原瑞人さんに「言い得て妙」と褒められたのが密かな自慢。


「上円下方墳(じょうえんかほうふん)」とよばれる珍しい形式。前方後円墳じゃないよ。


形状としてはご覧のようにフルーツケーキの上に温泉饅頭を重ねた‥‥。食い物の話ばかりだな、自分。


つまり、四角い墳丘に丸い墳丘が積まれた形状で、そう「トリビアの泉」の「へぇボタン」のような形。「へぇボタン」がわかりにくければファミレスでウェートレスさんを呼ぶ時のボタンのような形。


推定築造年代は「1300へぇ」、じゃなくて、1300年以上前の飛鳥時代。副葬品などから相当の高官の墳墓と推定されるが、人物の特定には至っていないそうだ。

その威風堂々たる墳墓の前に暫したたずみ、歴史のロマンに思いを馳せた。なんてことが僕に限ってあろうはずはなくて、復原作業の苦労や日常の管理の困難や地権者の驚愕に思いを馳せた。いろいろ大変だったろうなあ。

この「武蔵府中熊野神社古墳」もそうだが、府中と言う土地は、かつて武蔵国府があっただけに、町中の住宅街に突如、という感じで古墳が現れる。


土地を購入してビルを新築しようと基礎工事にかかったら遺跡がでちゃった、なんて悲喜劇をこの町ではよく見聞きする。


ツレが育った堺(大阪府)もそういう話が多いそうだ。


そんなことに思いを馳せてたたずんでいるうちに、風が冷たくなってきた。短日、だなあ。<こしおれ>

短日や古墳巡りも小走りで