今日も歴史散歩


ゆうひ丘にあった案内地図でルートを再確認。今度は携帯電話で地図の写真を撮った。これで安心。

途中までは今来た道を戻る。そうか、ここを左に曲がるべきところを右に曲がっちゃったから、ゆうひ丘に出ちゃったんだな。ま、絶景を見られてよかったけど。



小さな公園に出た。ここには「満州開拓民殉難の碑」がある。旧・満州国の問題は政治的なことはともかくとして、ずっと消化(言葉はわるいが)できすに引っ掛かっている。


「拓魂」の碑の前に額づいて、彼の地に散った人びとの冥福を祈った。



通りを隔てた向かいが「都立・桜ヶ丘公園」のメインのエリア。目的地の近代史スポットである。



そもそも「聖蹟桜ヶ丘」である。今は「せいせき」なんて軽く仮名表記されてしまっている「聖蹟」とはなにか。さらに言えば「聖」とはなにか、ということである。


「聖」とは明治天皇である。


明治天皇がたびたびこの桜ヶ丘の地を行幸され兎猟や多摩川での鮎漁を楽しまれたという(ちょっと上流の立川近辺も鵜飼の名所だった)。

その為、「聖蹟桜ヶ丘」となったのだ。


公園のゲートを入ると、明治天皇野点処の記念碑、明治天皇・昭憲皇后の歌碑などが点在する。



目指すは「旧多摩聖蹟記念館」。宮内大臣田中光顕によって昭和初期に建てられた。もちろんたびたびの行幸を記念してである。


冬木立の遊歩道を進むと、記念館はその典雅な姿を顕にした。



公園全体のランドマークとなっている記念館。来るのは二回目だ。


前回は約四十年前、父と来た。今の僕より約一回り若かった計算になる。

当時、我が家では車を買い換えて、そのトヨペットコロナ1500DXの馴らし運転のドライブだった。


その後、来ることこそなかったが、よくテレビで見かけた。東映の撮影所が近いこともあり、またその荘重な佇まいが「マッドサイエンティストの研究所」あるいは「悪の秘密結社のアジト」に最適なこともあり、特撮ものにたびたび登場したのだ。曰く「仮面ライダー」、曰く「好き好き、魔女先生」。ともに原作は石森(のち石ノ森)章太郎。



建物の塗色はオフホワイトからイエローに変わっていた。展示物も天皇が使った食器などだったような記憶(おぼろげ)があるのだが、明治の元勲の書などに変わっていた。中央の明治天皇の勇壮な騎馬像は変わってなかったが。


で、「旧多摩聖蹟記念館」の「旧」のことなのだが、これは「旧官幣社」の「旧」、あるいは「旧満州」の「旧」と同じようなニュアンスなのかな、なんて考えながらもと来た冬木立の道を帰った。



短日の午後、日は大きく西に傾いている。「ゆうひ丘」から見る夕陽はさぞかし、とも思ったが、当然ながらそんな元気は残ってなかった。<こしおれ>


聖(ひじり)とは帝(みかど)の名なり冬木立