御守りと言えばこちらも大切な御守り。
歌舞伎役者の中村京蔵さんのサイン入りポートレート。「吉野山」の「静御前」。昨夏、国立劇場の「音の会」でのショット。
京蔵丈は大学のサークルの先輩。「一生、応援する」約束をしている。
某会計ソフトのCMキャラクターとしても有名。
セピアカラーに加工してみました。
さて、病院周辺の歴史散歩も終焉に近づいている。
今回は現代史、というか「鉄道遺産」。
府中市を歩いているとよく「緑道」と名付けられた遊歩道にでくわす。さすが「水の古都・府中」で、その大半は川や用水に蓋をしたものだ。
しかし分倍河原のちょっと東を南北に貫く「下河原緑道」は違う。
廃線跡。かつてあった「国鉄・下河原線(国鉄、である。なんだい、JRってのは?『ダラス』の仇役か)」鉄路を剥がした跡を遊歩道(サイクリングロード)にしたもの。
前々から行ってみたかったのだが、やっと念願かなった。VIVA、入院。
「緑道」と名乗っているくらいだから常緑樹を中心に造園されている。でも舗装の周囲の芝生は枯野となっている。いいね。
ちょっと歩いたけど、当然ながら自転車がビュンビュン走ってくるので僕のような足弱にはちょっと怖い。
さて下河原線をご存知か?
「国分寺」と「東京競馬場前」を結んだローカル線だ。もちろん単線。編成は一両だったか二両だったか(クモハ?)
小学校高学年の頃、同級生とプールに行く時にいつも乗った。たしかいつも、同級生のマー坊(仮名)、タッチャン(仮名)、フクチャン(仮名。もしかしたらヨコチンだったかも)、僕、の4人だった。
「東京競馬場前」が「府中市営総合プール」の最寄り駅だったのだ。
なぜ、国立にも当時はプールがあったのにわざわざ府中まで行ったのか。国立のプールよりも府中のプールの方がずっとよかったから。
国立のは50メートルと25メートルと幼児用プールしかなかったが、お金持ちの府中のプールには、巨大滑り台、流れるプール、飛び込み台があったのだ。同じ料金(たしか50円)で。
最寄り駅と言っても東京競馬場前駅からプールまでは田舎道を十分ぐらい歩いた。
みんなで喋りながら遊びながらふざけながら歩いた。
ある日のプールの帰り道、深い溝に自転車ごとはまりこんだおじさんに助けを求められたことがあった。
人通りは少ないとはいえ大人も通るのに、なぜ小学生に。なにか剣呑なものを感じた僕たちは無視して立ち去った。
背後に「お〜い待てよ!」の声を聞くに至り急に怖くなった僕たちは走って逃げた。電車に乗っても胸の鼓動はおさまらなかった。
動きだした車内では「だれが一番臆病だったか」を言い合った。
後年、スティーブン・キング原作の映画「スタンド・バイ・ミー(以下、SBM)」を見た時、この日のことを思い出した。
それ以来、ベン・E・キングの「SBM」を聴いても、この日のことを思い出すようになった。
そして初めて来た下河原緑道に立つ僕の脳内にはやはりベン・E・キングのSBMが鳴り響いた。
下河原線は1973年4月1日、武蔵野線の開通と同時に廃線になった。僕たちが小学校を卒業し、中学校に入学したときなので間違えようがない。
鮮やかだった夏の思い出は日々色褪せ、枯草色(セピア色!)に溶けつつあるが、その辺だけは確か。<こしおれ>
SBM、わが緑道も枯野なり