「つげ忠男展」三たび。近文絵ライブ


今日も夕方から新緑の青山へ。南青山は「ビリケンギャラリー」。懐かしいおもちゃの展示・販売や絵本出版(ビリケン出版)でも知られるビリケン商会さんの展示スペースだ。



つげ忠男展」へ三度。つげ義春氏の弟としても知られる孤高のマンガ家・つげ忠男さんの作品展で、70年代〜80年代の漫画原稿やカット、描きおろしの新作等、多数展示している。


三日続けて青山に、この一週間で4回青山へ。


どうかしてるぜ、オレ。


今日は近文絵(ちか・ふみえ)さんのライブがあるのだ。


近文絵さんは孤高のミュージシャン、詩人。「つげ的」な世界を音楽で表現している。


一番最初にお会いしたのはいつだったか。だいたいわかる。1991年9月28日か、あるいは翌29日だ。


その日、マイルス・デイヴィスの訃報(1991年9月28日 、肺炎のため死去)に接した僕は、なんとなくマイルスのことを考えながら渋谷を歩いていた。初めて近文絵さんのライブに行くところだった。


すると渋谷駅の改札を僕の二人先を行くのは、ふゅーじょんぷろだくとの「コミックボックス つげ義春特集」に「つげ的表現の気鋭のミュージシャン」として紹介されていた美少女、すなわち近文絵さんその人だった。バッグからウクレレが覗いていた。そうか、今日はウクレレを弾いてくれるのか。


そしてライブ。果たして楽器は年季の入ったエレキギター一本で、ウクレレは「持ち歩いているだけ」とのことだった。会場は駒沢あたりだったかな下北沢だったかな、ともかくそのエリアで行われたライブだった。スーツ姿など僕だけで居心地は良くなかったが楽しかった。終演後、マイルスの話をしたような気がする。



そうだ僕は「共演」したこともあるのだ。北冬書房の「夜行」という本の18号(1993年)。近文絵さんは「初期歌詞集」を、僕は奥多摩郷土芸能「川野車人形」を紹介したコラム『故郷飾轆轤腰掛(故郷に飾る、ロクロの腰掛)』をそれぞれ3ページで掲載している。




表紙にも揃って名前が載っている。



ちなみにこれ僕のデビュー作である。


その後、近文絵さんは映画にも出られた。石井輝男監督の『無頼平野』。男装して戦災孤児の役。雪の中、ハモニカで「雪の降る町を」を吹くという印象的なシーンだった。


そうだ吉祥寺で、シバ(三橋乙揶)さんや「たま」知久寿焼さんも出る「記念大ライブ」をやった時は僕が司会をやったんだ。酔っ払い(のミュージシャン)が騒いだり女子高生(のミュージシャン)が自意識過剰で泣き出したりして収拾がつかなかった記憶がある。



そんなこんなご縁なのに今日はかなり久しぶり。多分18年ぶり。それなのに雨降りで家を出るのが遅れたり理髪店で待たされたりしたために大遅刻してしまい、後半しか聞かれなかった。


エレキギターを月琴に持ち替えた近文絵さん、往時とちっとも変わらない不思議ワールドをかもし出していた。


ぜひこれを機に本格復帰をしていただき、もちろん音楽を中心に、文章、イラスト、クラフトと表現のフィールドを広げて、またハラハラさせて欲しいと思う。<今日の一句>


五月雨に 月琴の歌 ひびきけり



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