書評のメルマガ、連載復帰第2号

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書評のメルマガ」連載復帰第2号 (2011年3月203日配信)


(第63回) 承前特別編 闘病・リハビリを支えてくれた愛しき本たち。「知層」編

 昨年9月、まさかの脳梗塞で帰宅途中のJR国分寺駅で昏倒。そのまま府中市内の病院へ緊急入院となり4ヵ月半。その間の闘病、リハビリを支えてくれた本について先月の連載で書かせていただいた。

 
先月の記事では入院中に読んだ本として西城秀樹著『あきらめない 脳梗塞からの挑戦』(リベロ)。これまで読んできた本の蓄積、すなわち「知層」としては、山上たつひこがきデカ』(小学館クリエイティブ)、『巨人の星』、『空手バカ一代』、『ジャイアント台風』『タイガーマスク』など梶原一騎原作の劇画作品。さらには中島敦山月記』(各社より刊行)を挙げた。

 
今月もその続きを書かせていただく。本来ならば、今月からは退院後に読んだ本について書きたいところなのだけど、退院後も細々な手続き仕事がめまぐるしく(役所とか保険とかさ)、まともに本が読めていないのだ。また脳梗塞の後遺症としての視力障害(軽度の)も若干影響している。若干ね。


 コミックスとともに僕の闘病・リハビリを支えてくれたのは、明治の文豪たちの作品、そして生き様だ。


 広義の闘病記の最高峰といえば、なんと言っても正岡子規の『病牀六尺』『仰臥漫録』(岩波書店他から刊行)だろう。脊椎カリエスを病んでの根岸の里のわび住まい。背骨の膿に貼りついたガーゼを妹の律に換えてもらう苦痛に上げる悲鳴が鶯谷の駅にまで響いたというのは有名なエピソードである(子規と律の物語は鳥越碧氏が『兄いもうと』(講談社)という小説に纏め上げられてい
る。傑作。刊行時には蕃茄山人さんが実にいい書評を書かれているので参照されたい。http://back.shohyoumaga.net/?month=200707 )。


つまり不遜ながら僕も子規に倣って、ハードと聞く脳梗塞のリハビリを京王電鉄中河原駅まで響くような泣き声を上げてもがんばりぬこうと誓ったのだ。根岸の子規宅は盟友・陸羯南(くがかつなん)が提供したものだ。この家から子規晩年の偉業の数々が生まれた。


子規には羯南がいた。僕には『がきデカ』、さいとうたかを『コミック版 仕掛人藤枝梅庵』(リイド社)などを差し入れてくれる友がいる。


 続いては自らの病臥を、倒れた場所の地名から「国分寺大患」と称した。もちろん夏目漱石の「修善寺大患」を意識してである(漱石の「修善寺大患日記」は岩波文庫の『漱石日記』に収載)。漱石の作風を変えたという「修善寺大患」。僕も「国分寺大患」を機に芸風を変えよう。もっと重厚に(無理)、もっと深遠に(絶対無理)。


 さらには中江兆民の『一年有半』(岩波文庫)ね。余命一年半を宣告された兆民が自らの死に行くさまを描いた作品だ。僕も「一年有半」。でも逆に一年半くらいかけてゆっくり治そうと。


 そんなことどもを旧知の随筆家・坂崎重盛氏にお便りしたら、折り返し「明治の文豪たちに自らをなぞらえるその図々しさが健在なら、“一月有半”は無理にしろ早々の快復が期待できるでしょう」との激励のファクシミリをいただいた。


 あと、あえて追加するなら「小栗判官」だな。横山大膳の謀で瀕死となった小栗は通りがかりの人々や童たちに代わる代わる箱車を曳いてもらい熊野権現の「峰の湯」を目指した。そして「峰の湯」の霊験により見事復活を果たし照手姫と結ばれた。


僕も病により当初はほぼ寝たきりであったが、最新の医療技術やきめ細かいリハビリにより、数ヶ月に及ぶ車椅子生活(まさに箱車)を経て杖歩行ができるようになった。代わる代わる箱車もとい車椅子を押してくれたのは友や家族のサポートだった。もちろん「峰の湯」はリハビリ療法士さんたちの叱咤激励。それらに助けられて、後は照手姫を目指して自らを鼓舞してリハビリに励んだのである(説話文学としての「小栗判官」は平凡社東洋文庫をはじめとする各社から刊行。近藤ようこによるコミック版は、ちくま文庫で)。

 
このようにして、これまでに読んできた本たちのおかげで、プロのリハビリ関係者も驚く回復ぶりとなった。入院中から企画立案に参加し、退院直後には書評家の岡崎武志さんと組んだ「岡崎武志の 拓郎ナイト」も成功させた。
http://d.hatena.ne.jp/banka-an/20110212



「備えあれば憂いなし」という。


ここへきて「ほんまかいな」の感もあるものの昔からよく言われる慣用句だ。僕の乏しい経験から言うと、本というものは病気になってからはそうは読めない。体力ないし目はかすむし。元気なうちにいかに読んでいるか。つまりそれまでの「知層」。それが肝心なんじゃないかな。うん、やっぱり「備えあれば憂いなし」ですよ。


 俗に「闘病生活と逃亡生活に“反省”と“感謝”は禁物」という言葉がある。要は「ふるさとへ廻る六部は・・・」と同義であろう(闘病と修行は似ている)。でも支えてくれた人たちや本たちへの「感謝」は惜しめない。
 

それと「反省」ね。いや実はあんまり反省はしていない。でも、お酒はやめましたよ、キッパリと。もちろん強くお誘いいただいたらその限りではないですけどね。


そんなわけで来月からはちゃんと書評しますね。