夏の浪速の芸尽くし(11) 哲学の道

〔8月8日の日記 その3〕

そういうわけで、庭を眺めながら寝てしまったのだ。

とは言えいつまでも寝ていては大迷惑なので出発しよう。これから「哲学の道」を行くと言うと、


「暑いから水分を取りながらいきなさい」


と伯母が人数分のペットボトルの麦茶を持たせてくれた。



伯父の家を辞去したあとは永観堂山門へ。中には入らずに左折。ここから銀閣寺までが「哲学の道」になる。




本当は南禅寺まで戻って散策のスタートとしたかったけど、暑かったのと、「来年の修学旅行で行ったときに感動が薄れる」との次男・三吉(仮名・中2)の言葉でやめた。もっとも後で長女・花子(仮名・高2)に聞いたら、南禅寺は修学旅行のコースに入っていないそうであるが(花子も知ってて黙ってた)。


途中、往年の時代劇スター・栗塚旭の店「若王子」の看板が見える。今も営業しているかどうかはわからない。言うまでもないが「わかおうじ」ではなく「にゃくおうじ」と読む。栗塚旭をご存知か。若い人は知らないかも知れないが、かつて「燃えよ剣(「萌えよ剣」じゃないよ)」の土方で大当たりを取った人だ。



川(疎水?)の向こう側に「叶匠壽庵」が見える。「京都茶室棟」というお店だ。


ここは先代のお祖母ちゃんに連れてきてもらったことがある。伯父のお母さんだ。もちろん、とうに亡くなっている。


20数年前、ツレと結婚して数年目の里帰りの際だった。ちょっと散歩にいきまひょと言って連れてきてくれた。

抹茶とともに出てきたお盆の上には伏せられた竹の籠。その下にガラスの器に盛られた梅ゼリーがある。その籠をはずす時に趣向があって、籠の内側に、先に小石が結ばれた紐がついているのだ。それが、籠をはずすときにガラスの器に触れて、


「チリリーーン」


と、なんとも涼しい音を立てるのだ。京都らしいなぁ、と感心したものだった。「素敵なお店に連れてきてもらってありがとうございました」と礼を言うと、


「ワタシも初めて来ましたわ」


と笑った。お茶目なお祖母ちゃんで僕は大好きだった。



多分、「哲学の道」もそれ以来だな、僕は。寺社仏閣への関心の薄い僕にとって、京都はどうしても縁遠くなる。たまに来ても京都駅と伯父の家の往復になってしまう。でも今回はめったにない家族旅行なので足を伸ばしたのだ。


久々に通る「哲学の道」。「清里化」と「浅草化」がずいぶん進んでいるようにも見受けられたが、木陰も多く快適な散歩道だった。「清里化」などと文句を言いつつ、「猫雑貨」の店で猫柄のエコバッグなんか買ってしまうのだな、これが。


一段と賑やかなところに出た。銀閣寺の門前だ。昨秋も来たから見覚えのある町並み。


凄い人手。原宿の竹下通りみたい。「人力車のある竹下通り」だ。



ここで会いたい人がいる。


(つづく)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご意見、ご希望は下の「コメントを書く」欄へ。内密な話はメール