感想『転ばぬ先の転んだ後の「徒然草」の知恵』

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では昨日の続き。

嵐山光三郎著『転ばぬ先の転んだ後の「徒然草」の知恵』(集英社)の感想。


「徒然草」の知恵


旅、温泉巡り、食べ歩き飲み歩き、俳句、文学散歩、海釣り、と僕たちオヤジのヤリタイ事を率先垂範してくれる著者の最新エッセイだ。マルチな活動で知られるがその専門研究分野は「隠者文学」で「徒然草」には高校生のときに魅了されて、以来、大学でも専攻していたという。なるほど。


「つれづれなるままに・・・」なんていうと単なる世捨て人の日記か身辺エッセイみたいだけど、実はこの「徒然草」、主筋の若君である邦良親王に向けて書かれた処世術の指南書でもあるという。随筆に見せかけて、まだまだ未熟で純真な邦良親王に乱世の、さらには権謀うずまく宮廷でのサバイバルを説いている。だからなかなかアグレッシブにしてなかなか生臭い。当然、含蓄に富んでいる。


「一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るるをもいたむべからず。人の嘲りをも恥づべからず」

(もしひとつのことを成し遂げようと思ったら、他の事がうまくいかなくても、悔しがることはない。他人が嘲っても恥ずかしくない)


「一時の懈怠(けだい)、すなはち一生の懈怠となる」

(その一時の怠りが、そのまま一生の怠りとなる)


「年五十になるまで上手にいたらざらん芸をば捨つべきなり」

(50歳になるまで上手にならない芸は捨ててしまったほうがよい)


「あまりに興あらんとすることは、必ずあいなきものなり」

(あまりに面白くしようと工夫をすると、きっとつまらないことになってしまう)


「めづらしき事をもとめ、異説を好むは、浅才の人必ずあることなりとぞ」

(珍しいことを求め、異説を知りたがるのは、浅学の人が必ずやることだという)


「よろづのことは頼むべからず。愚かなる人は深くものを頼むゆゑに、恨み怒ることあり」

(すべてのことは、頼みにはできない。愚かな人は、物事をあまりに深く頼み限るから、他人を恨んだり怒ったりする)


「多くは無益(むやく)の談なり」

(ほとんどの話はムダな話である)


 深いなぁ。面白いなあ。また、読み進むうちに「僕に向けて書かれているんじゃないか」と思うようになることもある。つまりこういうことだ。次のような記述がある。


「よき人の物語するは、人あまたあれど、ひとりに向きて言ふを、おのづから人に聞くにこそあれ」

(立派な人が物語をするときは、その場に大勢の人がいても、その中のひとりにむかって話しかける。それを自然に他の人たちも聞くことになる)


僕が「僕に向けて書かれているんじゃないか」と思ってしまったのは、兼好の教えを著者が実践した顕れだと思う。


で、どの辺が特に「僕に向けて書かれた」と思ったかというと・・・。


昔はよく「25歳はお肌の曲がり角」なんて言った。それに呼応すれば「五十歳は命の曲がり角」である。本能寺で遭難した織田さんはもちろんのこと、不肖・僕自身に関して言っても思い当たるフシがある。


49歳にして通勤駅で倒れ6級の身体障害者となった。まさに“転んだあと”の杖。そして51歳にして30年近く勤めた会社を退職した。


まさに「人生の転換期」「命の曲がり角」にトンッと背中を押してくれ、なおかつ真顔で慢心を戒めてくれたのがこの本なのだ。僕のように浅学菲才な者にもわかりやすく書いていただいているのがなによりありがたい。一級のビジネス書と言い切ってしまっても良いと思う。


そんなことを考えていたのが昨日の夜。携帯電話の着信音が鳴った。嵐山氏だった。


「一昨日、君が言ってた泉鏡花の件だけどね、俺はこう思うんだ」


13日の俳画展の打ち上げでの会話を覚えていてくださったのか。こんなところも「よき人の物語するは、人あまたあれど、ひとりに向きて言ふを、おのづから人に聞くにこそあれ」だと思う。<今日の一句> 


曲がり角 曲がればそこは 初夏の町



本日のウエイト 65.6キロ (マイナス0.3キロ)

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