夕刻、西の空がゴロゴロと鳴った。
この季節に雷。いわゆる「寒雷」か?
「寒雷」と聞いて思い出すのは小間嘉幸先生だ。
中学の時の美術の先生。一年間の休職を経ての復帰だった。休職中はシルクロードを旅して絵を描いておられたとのこと。
着任の挨拶でそのことを話され僕たちにシルクロードの話を振ってくれた。
しかし当時の中学生、と一括りにしちゃいけないが僕の周りにシルクロードに興味を持っているものなんて一人もいなくて教室は「寂として声無し」だった。
僕に至ってはシルクロードという言葉すら知らなかったと思う。先生もきっと拍子抜けしたことと思う。
小間先生は学校では生活指導、つまり「学校の憲兵」のような役割を付与されていたので損な役回りだったと思う。嫌われ役。全校集会のときなどは体育館のステージの袖からフロアに居並ぶ悪ガキを怖い顔で睥睨し、威圧していた。
そんな大人の事情もわからず僕などはずいぶん反発したものだった。まあ反発したと言っても表立って喧嘩したり口答えしたりするタイプじゃなかった僕は、ごく穏当に陰で悪口を言ったり意地悪くデフォルメした似顔絵の小冊子を作って回覧したり、根も葉もないけどもしかしたらありそうな噂を流したりとか、可愛いものだった。
あるとき先生は「私はこの雑誌の表紙を描いている」と言って小さな判の雑誌を示した。そこには「寒雷」と書いてあった。見たことない本だなぁ、信用金庫のPR誌か仲間内の文集かなんかじゃないのとかみんなで話した。
他には小間先生に関しては修学旅行の風呂場で大騒ぎしてこっぴどく叱られた一団の末席に列したことくらいしか卒業するまでに思い出はない。美術、苦手だったし。成績は多分ずっと5段階の2だったと思う。3をもらったことはなかったな、たしか。1もなかったけど。僕は今も昔も絵を描くのは下手くそだし嫌いだから当然、順当な評価だったと思う。
次にお会いしたのは中学を卒業した4年後の大学生の時。終電近い国立駅。夜勤バイトに出勤する時。前に書いた歌舞伎町のカジノディーラーの時か小岩の花卉問屋の時か。先生は同僚の先生と一杯機嫌か二杯機嫌で、これから夜勤だと言うと、苦学生だと誤解してずいぶん労ってくださった。単に遊ぶ金欲しさで夜勤なのは単に時給がいいという理由なのでちょっと心苦しかった。
別れ際、先生はこちらを向いてニカッと笑い手を額の脇にかざし敬礼してくれた。
その数年後、僕は出版業界の人となり「寒雷」を知った。
戦前から続く由緒正しい俳句誌だった。加藤楸邨が主宰。
代表句
寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃(句集『寒雷』より)
そして「再会」したその時も「寒雷の」表紙絵は小間先生だった。
こんな僕にも三〇代の半ばから四〇代の半ばまで俳句に凝った時期があった。その時代には実は小間先生のことは自慢だったりした。
そんなわけで寒雷を聞くたびに小間先生を思い出す。それも体育館のステージ上の怖い顔ではなく国立駅のホームでニカッと笑って敬礼した快活な姿を。
先生は数年前に亡くなったと聞いた。
俳誌「寒雷」は今もある(らしい)。
そして今日の「寒雷」、立川の昭和記念公園のクリスマス花火だったとさっきSNSで知った。
よく「冬の花火はおもいで花火」というが(N.S.Pが言っただけか)、懐かしい恩師のことを思い出したのだから「冬の花火はおもいで花火」、まんざら外れてもいない。
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