たてもの園・作家のいる風景

江戸東京たてもの園をご存知だろうか?

都立小金井公園の中にある野外博物館だ。園内には江戸時代から昭和初期までの、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築している。その数27棟。高橋是清邸などもふくまれる。

  そこでこの秋、とても楽しみなイベントが開催される。「武蔵野文学散歩展 〜都市のとなりのユートピア〜」。 国木田独歩徳富蘆花田山花袋井伏鱒二太宰治大岡昇平など、武蔵野ゆかりの作家や作品の魅力を紹介する展覧会だそうだ。


  これももちろん楽しみなんだが、僕が本当に楽しみにしているのは、その一環として開催される『たてもの園・作家のいる風景---人形とたてものによるコラボレーション---』だ。

  これは畏友・石塚公昭さんの仕事だ。

  この日記の読者様であればもう先刻ご承知だろうが、石塚公昭さんは人形作家で写真家。作る人形は文士 (江戸川乱歩谷崎潤一郎泉鏡花、等)、ジャズメン (コルトレーンマイルス・デイビスチャーリー・パーカー等)などユニークなものがたくさん。そしてそれらの人形を自ら撮影。さらにはオイルプリントという絶滅した技法を現代に蘇らせたりもしている異才だ。

  その石塚さんが泉鏡花永井荷風谷崎潤一郎江戸川乱歩の人形をたてもの園の建物をバックに撮影したのがこの展覧会だ。会期中、人形と写真作品を、ビジターセンター及び建物で展示するという。

  これだけでも楽しみで絶対に行くのだけど、この展覧会にはさらなるご馳走がある。


  「スペシャルモデル」の存在だ。


  女流義太夫の鶴澤寛也師匠が谷崎人形と競演しているのだ。


  寛也師匠についてはこの日記にもたびたび登場しているのでもうすっかりお馴染みだと思うが、新しい読者様のためにちょっと説明しよう。
  
  まずその前に、女流義太夫をご存知だろうか?

  明治〜大正にかけてはそれこそ大変な人気だった。当時は「娘義太夫」といって今で言うアイドルのような熱狂振りだったそうだ。「どうする連」なんてのがいてね、今で言う「追っかけ」。人気の太夫の舞台を追いかけては、「どうするどうする」なんて身悶えしていたらしい。それから100年近く経った現在も、その芸能は連綿と継承されている。  
  
  今を去ること20年前、数学者への道を投げ打って、義太夫三味線の世界に飛び込んだ一人の女性がいた。以来、努力と苦労を積み重ねて、斯界に確固たる地位を築きつつある。

  それが現在の鶴澤寛也師匠である。キャラが立っているのでついネタにしてしまい、この「蕃茄庵日録」にもたびたび登場する。僕の20数年来の悪友だ。

  その寛也師匠が暗い座敷に佇立する谷崎の後方で、肩衣を着けて三味線を構えているという構図の写真が撮られ、出品されるのだ。


  石塚さんと寛也師匠、このお二人がどのようにして出会ったかというと、これはずばり僕の功績である(えっへん)。お二人を引き合わせた日の日記がある。下のリンクをクリックして、ちょっと末尾のほうをお読みいただきたい。


石塚さんと寛也師匠の出会い


「なんとなく、もしかしたら面白いことが起きそうな気もする。形が見えてきたらまたここで報告しよう」

と書いている。そう、それがこれなのである。

  ああ、こういうのは面白いなぁ。僕自身は何の才能も能力もないのだけど、僕の周りの才能が僕を介して出会い、それが形になったりすると、本当に幸せな気持ちになる。

 
たてもの園・作家のいる風景--人形とたてものによるコラボレーション--
9/14(火)〜11/28(日)毎週月曜休園(9/20と10/11は開園し、翌日休園)