石井輝男監督とのお別れ会

今日は「石井輝男監督とのお別れ会」に行った。

石井監督は8月12日に81歳で亡くなった。日本をいや世界を代表するカルト的映画監督だ。タランティーノなども大ファンだと言う。また高倉健の素質を見いだし、「網走番外地」シリーズ(1965年7月から67年12月までの2年半に10本作られた)で、スターダムに押し上げたことでも知られている。

まあちょっとここをクリックして石井監督のフィルモグラフィを御覧なさいまし。圧倒されるから。江戸川乱歩シリーズも凄いぞ。

そして、つげ義春氏の大ファンでもあり、「ゲンセンカン主人(93)」「ねじ式(98)」を送りだした。またつげ忠男氏原作の「無頼平野(95)」も忘れられない。

僕は中学のとき見た「直撃地獄拳 大逆転(74)」以来のファンだ。千葉真一主演のカンフーアクションコメディで、世の中にこんなくだらない世界があるんだろうかと慄然とした。その慄然は今も続いている。

その後、「つげ繋がり」で知遇を得ることになったのは、「ゲンセンカン主人」前後から。石井監督の映画世界を徹底的に解析した「石井輝男映画魂」という著書(石井監督との共著)を持つ詩人・福間健二さんと僕の家が近所だったのも奇縁だった。

「ゲンセンカン」の時だったか「無頼平野」の時だったか、渋谷で「つげ系」の完成記念パーティーが開かれたことがあった。石井監督や出演の佐野史郎さんや杉作J太郎さんも来てくれたそのパーティーの司会をしたのは僕だった。なぜ名司会者の杉作さんを差し置いて僕が司会したかというと、多分、北冬書房社主の高野慎三さんの口車だか腰車だか火の車だかに乗ったのだと思う。僕は上がりまくって、乾杯のとき中身の入ったビール瓶を5本まとめてひっくり返したりして大変だった。


石井監督は本当はもの凄く偉いのに、僕のようなものにも気さくに話しかけてくれた。浅野忠信主演で「ねじ式」を撮る際には、水木しげる氏、赤瀬川原平氏などのお歴々と並んで「ねじ式を作る会応援団」に僕の名前を入れてくれた。もちろん僕は心の中では応援していたけれど、何もしていない。監督の真意がどこにあったんだろうとは、時々思っていたが、訊けぬうちに監督は逝ってしまった。


皮パンツにサングラスでいつも颯爽とカッコイイ人だった。

ああ、思い出話だけで長くなってしまった!! 続きは明日。