瀋陽、右往左往 瀋陽南駅から汽車に乗る

・・・・・・5月3日(2日目)の旅日記<2>・・・・・・・

今日は撫順に行く。瀋陽から汽車で1時間ほどの炭鉱の町だ。

炭鉱とともに有名なのが「撫順戦犯管理所」。もともとは旧満州国の思想犯専門の刑務所だったそうだが、解放後は(中国にとっての)戦犯専門の刑務所となった。

かの「ラスト・エンペラー」愛新覚羅溥儀も収容されていた施設だ。それをぜひ見たいと思った。

汽車でもバスでも行けるという場合、中国においてはほぼ100パーセント、バスの方が便利だ。でも汽車で行く。


ホテルから「瀋陽南駅」へは徒歩10分くらい。まだ朝の8時なので町は静か。人もあまりいない。あ、ウォルマートがある、なんていっている間にクラシカルな駅に着いた。駅もそれほどの人出ではない。ほとんど並ばずに切符を買えた。

一人片道5.5元。88円。「無座」、つまり立ち席の快速列車。もちろん「硬座」、つまり二等車。これが一等車だと「軟座」となる。

荷物をX線に通して駅舎に入る。薄暗くて長いいコンコースにはなにやら怪しげな売店が出ている。待合室は便ごとに分かれている様子だ。

僕たちが乗るのは「K7397次」。9時10分発の「白河」行き。福島県ではない。

あ、あった、この部屋だ。

待合室は巨大。そこにびっしりと人がいる。さっきまでの静かな町とは大違い。きれいなワンピースを着た若い女性もいれば、タトゥーが覗く勇みな若い衆もいる。三輪車で入場の幼児もいれば、何の前触れもなく手鼻をかむ人民服(風)の老人もいる。

黙っている人などいない。みな、けたたましくおしゃべりしている。なんか食べてる人も多い。なんともすごいエネルギー。このエネルギーで発電でもできないものか。

待つこと数十分、やっと改札が始まった。以前の中国を知る身としては大混乱を覚悟して身構えたが、意外と整然としていた。1980年代半ば、汽車やバスに乗る時はラグビーの選手になったような心持ちがしたものだが・・・。

        ( 続 く )