丁寧に語ることの陥穽について

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何事もぞんざいよりも丁寧なほうがいいに決まっている。しかし、丁寧に言うと逆に意味合いが歪むということもある。


いい年をしてする話でもないのだが、某芸能人の親族の不祥事の件である。


かの人はメディアの取材に対し



「迫られて、やった」



とこたえたという。


「“やった”はないだろ“やった”は」と思ったりもしたのだが、これを丁寧に言ってみると逆にややこしい。



「迫られて、いたした」



としてしまうと、とたんにオヤジ雑誌のエロコラムの風になってしまう。「やった」の方がまだまし。具体的に挙げると「週刊文春」の「淑女の雑誌から」の感じ。



迫られて、おイタをいたした。とか。




ことほどさように日本語は難しい(とオヤジ雑誌風に結んでみました)。<今日の2句>


醜聞も どこか艶めき 春二月



春憂は いつも淑女の 雑誌から

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