懐かしいメール。でも寝たり起きたり。

案の定、今日は寝たり起きたり。遠出をした翌日はいつもそう。


病後半年で復帰したあとの一年はどうしていたんだろう。よく毎日都心まで通勤していたなぁ。もう絶対無理。


昼前に嬉しいメール。以前、よく遊んでいていつしか音信普通になっていた友達から。1年や2年のご無沙汰ではないので、彼女は僕の病気→退職→開業のことは知らない。住所や本名も知らないので、年賀状の付き合いもない。


最後に会ったのがいつごろか、このブログで検索してみて驚いた。いや、8年ぶりだったのは大体そのくらいかなと思っていたのでそれほどではないのだけど、そこに描かれている8年前の僕の元気なこと。116キロの大きい身体(当時)で実によく動いている。思えば遠くへ来たものだ。


それともうひとつの発見はこの2005年9月8日の日記。名前は出してないけど、この日はキャットフィッシュの看板娘・花緒ちゃんと初めて会ったのだ。当時、キャットフィッシュの新人スタッフでどこのお嬢さんかあるいはどこの奥様かわからないからあえて名前を出すのを控えたのだった。思えば遠くに来たものだ。


夜、毎週楽しみなNHK「ファミリーヒストリー」。今日のゲストは中村獅童。いろいろ勉強になった。僕は彼の初舞台を見ている。


僕が20歳のときに祖母が死んだ。祖母は僕の将来のためにと僕の名前で貯金をしてくれていた。


僕はそのお金のすべてを歌舞伎見物に使った。歌舞伎座国立劇場新橋演舞場はもちろん、京都の南座に足を伸ばすこともあったし農村歌舞伎見物に山形、福島、岐阜などに遠征することもあった。


歌舞伎好きの祖母だったのでいい供養になったと今でも思う。向学心もないのに半端に学校に行ったりしてもそんな覚悟で資格など取れようはずもなく、それこそ金をドブに捨てるようなものだ。


そんなわけで、一ヶ月に3〜5回は歌舞伎見物に行っていたころの1981年に獅童丈の初舞台があった。


よく覚えているし、ポスターの写真も覚えている。歌六の「大蔵卿」、時蔵の「妹背山」、歌昇(元・光輝、現・又五郎)の「船弁慶」の大きなカラーポートレートのそばに丸く切り抜かれたクリクリ坊主のモノクロ写真。


いろいろ複雑な事情のある役者であり家系なんだけど、それが実にうまく整理されていてわかりやすかった。説明しにくいエピソードは思い切りよく全削除。説明が冗長でわかりにくいとよく言われる僕として、そういう意味でもすごく勉強になった。


ほら今日だってこの程度の話なのにこんなに長文。


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