そんなわけで今様の男子高校生をウォッチングするのはなかなか面白かった。
旧知の写真家・人形作家の石塚公昭さんが書いておられる「15歳の時に好きだったものは一生好き(大意)」には深く首肯するものである。彼らは一生、ジジイになってもオンラインゲームをやるだろう。足腰が弱って外出が難儀になってもできて、なかなか悪くない趣味だと思う。ボケ防止効果も期待できそう。
自分のことを振り返ってみると、やはりあてはまる。
僕が15歳で好きだったものを並べてみる。
つげ義春、オートバイ、ジャイアント馬場、テレビ時代劇(除く、大河ドラマ)、古典落語、床屋政談、ゴシップ。
50代半ばとなった今でも好き。
つげさんや、馬場さん、落語、時代劇に対する愛はここにもたびたび書いてきた。床屋政談、ゴシップについてはこのブログ自体が全篇ほぼそのものとも言える。
オートバイはずっと憧れだった。
15歳の誕生日を迎えたときの興奮は忘れられない。
「あと、1年でオートバイの免許がとれる」
高校選びも「この学校はバイク禁止ではないか」だけで選んだ。
大抵禁止でない都立は対象外。体育、美術、音楽、技術家庭等が極端に成績が悪く、また先生の心証も悪いタイプの僕は「内申点」がすごく悪かった。さらにいうなら僕は印象が悪いので、入試に面接がある高校もNG。
つまり、私立で、面接がなくて、バイクが禁止じゃない、の3点で、数年前に無くなった某校を選んだ。
16歳になったらもちろん免許を取った。
半年後の夏休みには南東北一週ソロツーリングを決行。初めて日本海を見た感動は今でもよみがえる。
また「床屋政談家」の僕にとって、当時(ロッキード事件発覚の翌年)、「新潟3区」は悪の巣窟だった。それなのにご当地で出会う人出会う人、みな愛すべきすてきな人々で、大いに戸惑った。
初めての野宿もこのとき経験。
マシンはスズキのGT380。ツッコミどころは満載だけど、とにかくカッコイイバイクだった。
大学でも東北一周ツーリングを志すも八戸で接触事故を起こしてリタイア。
このバイクは29歳まで乗った。
次はヤマハのオフロードマシンに乗り換えて、休日の早朝に奥多摩や秩父の林道を走った。
今はもう自転車すら乗れない身体になってしまったが、町で、テレビで、雑誌でオートバイを見ると心がときめく。というかざわつく。
上で、「オートバイはずっと憧れだった。」
と書いた。
実は「オートバイがずっと憧れだった」というだけでなく「オートバイに乗っているカッコイイ男」があこがれの対象だったのだ。
そんな少年だった僕の憧れのオートバイ野郎達をgifアニメにした(またかよ。最近みんなそれだな)。
題して
「昭和のオートバイ野郎 名人列伝」
広い心でご高覧下さい。
ついでに昨日のブログ記事に載せたgifアニメもそれぞれ少し補正したのでご覧ください。各10秒で終わります。
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