父の本  下谷保村御用留

「父の本」とタイトルには書いたが正確ではない。「父とその仲間たちの本」だ。

 『天保戌年 下谷保村御用留』。くにたち近世史の会発行。私家版である。
  
  「下谷保村」とは現在の国立市谷保のうち天神様より東のエリアをいう。
  「御用留」とは村に送達された触書、達書等を隣村に回す前に、名主らが備忘のため書き写した帳簿のことだ。つまりはお上の通達の控えだね。
  この本は国立の素封家・H家所蔵の文書である「下谷保村御用留」を解読、解説したものだ。
  このH家の御当主は篆刻家としても知られ・・・。つまりは国立の名門、本田家文書なわけだ。本田家は技芸に優れた人を多く輩出し、この天保9年ごろの当主・覚庵は医者であり書家だった。当代の御当主・定弘氏は篆刻家として知られ、故・山口瞳先生も雅印は定弘先生に頼んでいた。

  さてこの『天保戌年 下谷保村御用留』、そもそもの始まりは定年後の楽しみに入った古文書解読サークルだ。解読するだけでは飽き足らずに本にまとめたくなったらしい。

  僕も1冊もらって見てみたがなかなか面白い。奢侈禁止のお達しなど、「櫛、かんざし、キセル、煙草入れに金銀を使うな」だの「手数をかけた菓子、料理を食うな」だのやかましく、「御勘定方お泊りにつき人足10人出せ」だの「薩州様御家中通行につき馬3匹出せ」だの図々しい。お上というものは今も昔も変わらない。一番腹が立つのが「歌舞伎芝居や手踊りの興行の禁止」だな。


  高度成長を支えた企業戦士の世代で典型的な仕事人間だった父。定年後はぬけがらになってしまうのではと心配もしたが、生きがいを見つけて喜ばしい。読書時間も桁外れに増え、「町の書評家」として公民館の図書館便りに半年の書評連載を持つまでに至った。

  
  なおこのたび完成したこの『天保戌年 下谷保村御用留』の解読本、郷土資料館と公民館にある。興味のある方は手に取ってやっていただければありがたい。