犬童一心監督「ジョゼと虎と魚たち」

 どんな学校でも名物男・名物女というのがいるものである。

 となりのクラスの I 君がそうだった。クラスが違うので喋ったことはないけどとても目立つ、ある種、異形のキャラクターだった(先方は僕のことは知らない)。

 なにしろほとんど毎日、遅刻してくるのだ。うちの高校は基本的に校則がゆるく法律さえ遵守していれば大抵OKだったけど、それにしてもほぼ毎日はひどい。とっくに授業は始まっているのに、走りもあわてもせず、ゆったりと巨体を校舎の中に入れる。大したものだなぁと感心して見た覚えがある。ではお前はそれをどこで見たのかと追及されると困るのだけど、常に僕はビクビクしながら遅刻していたのだから小物である。

 I 君は美術部のリーダーだったのだが、文化祭に出品した作品も忘れられない。油絵の大作で自画像。当時、ニキビ面だったんだけどそのニキビの凹凸と顔についた肉(当時から巨漢だった)をリアルに描き込んだ作品だった。普通、自画像なんていうと少しは男前に描きそうなものだけどもの凄かったなぁ。

 そんな I 君は、大学に入ると絵筆を8ミリカメラに持ち替えて自主映画の製作に没頭するようになった。「ぴあ」のコンクールなどでも手塚真と上位入賞を分け合うようになった。


 今日、ツマと一緒に見に行った映画『ジョゼと虎と魚たち』(妻夫木聡池脇千鶴主演)は、その I 君こと犬童一心監督の作品だ。


 ヒロイン・ジョゼ(池脇千鶴)の祖母を演じるのは関西の重鎮・新屋英子さん。昨秋、くにたちで開かれた新屋さんの公演でチラシをいただきこの映画のことを知った。
 

 新屋さんは大阪で一番大きな新劇の劇団の創立メンバーである。そしてツマはその昔、その劇団の研究生だった。つまりツマから見れば新屋さんは師匠筋に当たるわけだ(ちなみに漫画家・つげ義春さんの奥さんである故・藤原マキさんもこの劇団の出身だ。生前、マキさんの個展会場でマキさんとツマでこの劇団の話で盛り上がったこともあった)。

 まあこのように夫婦それぞれに因縁があった上に、夫婦そろって妻夫木ファンなので珍しく連れ立っての映画見物とあいなったわけだ。

 原作は田辺聖子(角川文庫)。田辺作品初の映画化だそうだ。テレビ化がいままでたくさんあっただけに意外だ。

 ちなみに田辺作品は舞台化も少ない。14年前東京でも公演を行った「すべってころんで」が初めてだったはずだ。これも今書いた某劇団の公演だったので見に行っている。


 いかんいかん因縁話だけで長くなってしまった。

 でも映画の内容もあまり書くとネタバレになるので深入りはすまい。ちょっとだけ紹介すると・・。

 普通の(凡庸な)大学4年生である恒夫(妻夫木)が明け方の町を歩いていてジョゼと名乗る足の悪い娘(池脇)と知り合う。ジョゼは裏長屋に祖母(新屋)とひっそりと隠れるように住んでいた。部屋の中で祖母が拾ってくるあらゆるジャンルの本を濫読して博覧強記、そして料理上手で、心にたくさんの棘を生やした謎の多いジョゼに次第に心引かれていく恒夫。そんな若い二人のせつない恋物語だ。

 泣く映画に仕立てようとすればいくらでも泣かしはできる題材なのにあえてやらないところがすごく好感が持てる映画だった。そのぶん細かいところまで丁寧に丁寧に作りこんである。一つ一つの場面がみんな深い意味がある。「大味」の反対語ってなにかなぁ。「大味」の反対語の感じなのだ。

 
シナリオがいい。せりふの一つ一つが研ぎ澄まされていてとても印象が強い。言葉がコリコリと堅く粒立っている感じだ。

 
妻夫木君はいつもどおり可愛い。今どきの若者らしく小ずるくてちょっといい加減なところもリアルだ。池脇・ほんまもん・千鶴もよかった。全身これ屈託のような娘なんだけど、場面ごとに顔が変わっていくのがさすが役者という感じだった。なんていじらしいこと。

 主演の二人もよかったけど、やっぱり新屋さんだな。もの凄い迫力のまるで怪獣のようなオババなんだけど、まるで古代人がつくった彫像のように、神々しく感じられるふしぎなおばあちゃんだった。
   
 この役だけは他の人には絶対できない。この描線の力強さは新屋さんならではのものだ。