浜口貫録V! 「金あるのみ」/レスリング
<女子レスリング:クイーンズ杯兼アテネ五輪代表選考会>
72キロ級の浜口京子(26=ジャパンビバレッジ)は五輪代表に決まった。
72キロ級は、世界女王の浜口が8度目のVで貫録の五輪出場を決めた。決勝の斉藤戦も着実にポイントを重ねてテクニカルフォール。3戦で失ポイント0の完勝だった。試合の3時間以上前から会場の外で父・アニマル浜口氏とともに闘志を高め、試合後は父に肩車されて親子で五輪出場を喜んだ。「アテネに向けて、また父と一緒に頑張る。金メダルあるのみです」。父からは「求道者に休みはない。浮かれるな」と早速気合を入れられていた。(日刊スポーツ/2月25日)
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浅草は僕が大好きな街のひとつだ。学生時代もこの街の近くでずっとアルバイトしていた。
大好きな街なのだけど、コワイ職業の人が結構多いというのも紛れもない事実だ。
もう20年近く前のことなのだけど、ツマと浅草の花やしきに遊びに行ったときのことだ(知らない人のために説明しておくと、花やしきというのは民家の物干しをかすめるように爆走するジェットコースターが名物のそれは小さな小さな遊園地)。
その花やしきに行ったときもコワイ人がいた。ジャージ姿にオールバックの髪に無精ヒゲ、やたら鋭い眼光・・・・・。
「怖ぇぇぇぇぇ」
と思いつつ、怖いもの見たさでよく見たら、当時「ジャパンプロレス」で活躍していたアニマル浜口選手だった。
小っちゃな女の子を連れてきていた。その子を遊具に乗せて、自分は乗らずに柵の外から見守っている。もの凄く怖い顔なのだけど、遊具の中の子どもを見るときはすっかりお父さんの顔で、それはもう慈愛に満ちた表情だった。
闘志が前へ前へとでる元気のいいファイト・スタイルが好きでファンだったので、思い切って声をかけてみた。
「あのぉ、浜口さんですか」(恐る恐る)
「うん」(with 怖い顔)
「一緒に写真撮らせてもらっていいですか?」(びびりまくり)
「ああ・(with 鋭い眼光)
カシャ!!
シャッターが切れる瞬間だけ一瞬、口角を上げて笑顔を作ってくれた。
丁寧にお礼を言って、握手をしてもらって別れた。手がジンジンと痛かった。
その時、浜口さんが連れていた小っちゃな女の子が、現在の浜口京子選手であることは言うまでもない。あの小っちゃなかわいい女の子が地上最強のおねえさんになるのだから、世の中何が起こるかわからないものである。
下の写真が記念のお宝写真。1985年9月21日の日付が見える。後方の遊具の中に「京子ちゃん」がいるわけだ。見えないけど。