田沼武能先生の文化功労者受賞を祝う会

今日、春の雪の中、写真家・田沼武能先生の「平成15年度・文化功労者」顕彰を祝うパーティーが開かれた。谷保天満宮の大広間にて。

  田沼先生については何度かこの日記にも書いているが、日本写真界の最高峰といわれる人物だ。それは日本写真家協会の会長をしていると言うことだけはなく、50年以上にわたってつねに写真界のトップランナーとして第一線で活躍されているからだ。世界の子どもの写真や文士の肖像、トットちゃんこと黒柳徹子さんと組んだ世界の紛争地の子どもたちの写真等、功績は枚挙の暇がない。先日は恵比寿の写真美術館でその集大成とも言うべき写真展が開かれた。  僕は2回行った。

  で、そんな偉い写真家のお祝いをなぜ西郊の果て国立でやるかというと、故・山口瞳先生のご縁だ。

  昭和20年代、某文芸誌の編集をしていた瞳先生が田沼先生にグラビア写真の撮影を依頼したのが始まりと聞いている(そのころ田沼先生は年齢をサバよんでいたという。下にじゃない、上にだ。いくら腕があると言っても20歳そこそこの青年が横山大観の写真など撮れるものじゃない)。

  瞳先生は自身が撮られる立場になってからも常に田沼先生をご指名だった。

  そんな瞳先生とのご縁で国立にもたびたび来られ、今や「名誉村民」と呼ばれている。その田沼先生が栄えある「文化功労者」に選ばれたのだ、「村民」としても何かお祝いをしなくっちゃ、ということで今日のパーティーとなったのだ。田沼先生は実はもの凄く偉いのに全然偉ぶらずに気さくな方なので、僕たち「村民」に愛され、尊敬されている。

   発起人は瞳先生の奥様の山口治子さん、彫刻家の関頑亭先生。

   そして醍醐準一さん。トッカピン氏である。瞳先生のエッセイにたびたび登場する方で命名ももちろん瞳先生。由来は昔「トッカピン」という薬があってそのパッケージの絵が醍醐さんにそっくりだというものだ。
   浦安にホテル醍醐を経営する実業家。家族連れでディズニーランドやディズニーシーに行かれる方はどうぞご利用を。高嶋政伸がロビーをウロウロして松方弘樹が最上階から見下ろしているようなウォーター・フロントのホテルで冗費するよりずっと良いですぞ。

   以上が発起人の重鎮の面々だが、実際の仕事の多くが事務局のマスオさんとガマさん(この方も瞳先生の「男性自身」の常連)、佐藤収一さん(建材の「サトウ」、割烹「楽食一辰」等を経営する実業家)であることはいつもどおりだ。

   開宴は17時だが準備は15時から。若い者で準備をするという。僕にもマスオさんから電話がかかってきて15時に集合した。当日スタッフは事務局のガマさん、マスオさん、収さんに加えて、最年少の僕。というわけで平均年齢55歳の「若い者」が集まった。

   ちなみに受付も若いきれいどころのギャル(死語)ということで句友のアケミさんと経営コンサルタントの朝倉潤さんが受け持った(この件に関してはノーコメントまたは黙秘権を行使させていただく)。

   会場のセッティングをしていたら豪華な盛花が届いた。あけてみると茶道裏千家千宗室家元からだった。

   ガマさんの司会で会は始まった。場内を眺めてみると「男性自身」にたびたび登場した旧・くにたち山口組が久々に集合した感じだ。そのほんの一部をご紹介すると(発起人とスタッフは割愛)・・・・・・、

津戸最(天満宮宮司)、小沢潔(元国務大臣)、小沢孝造(国立の文化と自然を守る会会長)、常盤新平(作家)、岩橋邦枝(作家)、、文蔵店主(「居酒屋兆治」モデル)繁寿司店主、植繁の親方、、関栄一(せきや会長)、関敏(石彫家)、豊田健次(編集者)、山口正介(映画評論家)、《順不同、敬称略》

  嵐山光三郎先生は急な取材が入り、奥様が代理で出席された。

  言うまでもないが、僕と朝倉潤さんは堂々の最年少だった。
料理は大学通りフェルミエール」のフレンチ。美味しかったー。ボリュームも結構あった。
  
  途中、余興で植繁の親方の「木遣り」も入り大いに盛り上がった。

  途中から朝日新聞立川支局の取材も入った。詳しいことは聞かなかったけど、やはり瞳先生がらみの取材らしい。ちかぢか載ると思うので多摩地区で朝日新聞を取ってる人はどうぞご注目を。

  終宴近くなると、田沼先生が動き始めた。場内の撮影を始めたのだ。主役なんだからそんなことしなくても・・・・。出席者の中にはアマチュアながら去年で銅賞を獲得した権禰宜の菊地茂さんもいて写真を撮ってくれているのだが、やはりカメラマンの血が騒ぐのだろうか。

  宴は頑亭先生の締めのご挨拶でお開きとなった。

  では最後に記念撮影、ということになったら、また田沼先生が登場。胸に主賓の花をつけたまま仕切る仕切る。みんなを並ばせて立たせたり座らせたりしながら画面のバランスをとる。
  出席者(と言っても単なる酔っ払いの集団)も田沼先生の号令だから素直にしたがってスムースに撮影ができた。

  8時ごろ解散。みんなニコニコと上機嫌で帰っていかれた。なごやかないいパーティーだったな。


  下はパーティのスナップ。背後の看板の豪快な揮毫は書家・関竹葉こと、せきや会長・関栄一氏90歳。お花は千宗室家元から贈られたもの。