「助けてください! 暴力を振るわれています!!」
朝の通勤電車の中、その声は響き渡った。
絹を裂くような女性の悲鳴、ならいいのだが妙に甲高い若い男の声。
「暴力なんて振るってないでしょう。貴方が私の足をずっと踏んでたんじゃないですか?!」
答える声も甲高い若い男の声。
よくある車内トラブルのようだ。朝の通勤列車はみんなイライラしている。こういうトラブルというのも東京ではよくあるのだ。押した押さない、踏んだ踏まない、突いた突かない・・・・。中には「メンチ切った」なんて洋食屋の見習いみたいな因縁つけもある。
でもこのトラブルはちょっと変わってたな。やけにていねいなの。一貫して「敬語」&「ですます」で喧嘩してるのだ。
では仮に、先に「助けてください」といった方をA君、いや「与太郎」としよう。
そして「貴方が私の足を踏んでた」といった方を、「田吾作」としよう。二人ともスーツ姿の若いサラリーマンだ。
与太郎「踏んでなんかいませんよ」
田吾作「踏んでましたよ。混んでるから我慢してたんですよ。それにずっと押してたでしょう」
与太郎「押してなんかいませんよ」
田吾作「押してましたよ。それに私のことデブって言ったでしょう、ずっと」
与太郎「言ってませんよ」
田吾作「言ってましたよ。ずっと言ってましたよ」
与太郎「だからって暴力振るうんですか? 」
田吾作「暴力なんて振るってませんよ。足を踏んでたのは貴方ですよ」
与太郎「さっき、爪を立てたじゃないですか? みなさーん、助けてくださーい」
田吾作「爪なんか立ててませんよ、貴方が逃げないように押さえたんですよ。みなさーん警察をよんでくださーい」
と、ひたすら情けなくくだらないのである。「みなさーん」と呼びかけられてもわしらは君たちの担任の先生じゃないのである。
そのうち次の駅に着き「降りろ降りない」で一悶着あったあと、一人ホームに下りた田吾作が与太郎を睨みつつ、自分のバッグを開け中をまさぐった。
おっ、バタフライナイフでも出すのかと思ったら、出したのはカメラ付携帯だ。
与太郎の顔を続けざまに撮影して、
「いいですか、もう貴方の顔撮りましたからね」
とすごむ。ホームに響くのは、携帯の撮影音の「チャララ〜ン」「チャララ〜ン」だった。
・・・・なんとも脱力する木の芽時の朝だった。
で一日が終わり、今度は帰りの電車の話。国分寺の駅で停車したままなかなか発車しなかった。
駅員さんとガードマンさんがせわしなくホームを走り回っては車内を覗き込んでいる。「車内トラブル発生」との通報があったらしい。
「なんだ、朝と一緒だなぁ」
と思いつつ本を読みながら発車を待っていたら、ガードマン氏がドア際に立っていた僕に、
「何か、車内トラブルありましたか?」
と聞いた。けっこう本に集中していたのでびっくりして、咄嗟に僕は、
「いえ、平和です」
とマヌケな答えをしてしまった。そうしたら何人かがこっちを見てクスクスと笑った。
「平和」結構じゃないか!? なにも笑うことないじゃないか(怒)!?
暴れてやろうかと思った(うそ)。