まずは、昨日の日記に書いた『地獄の黙示録』のあらすじをお読みいただきたい。
そしたら次に、今回の新作落語が何を骨格にしたかを当てていただきたい。ちょっと落語を聞きかじった人ならすぐに的中できると思うけど、「木乃伊取り」である(みいらとり、と読む)。
12日の日記を見ていただきたい。僕も的中させてるでしょ、「三遊亭円生の「木乃伊とり」のテープを聴きながら昼寝してしまった。」って。そんなテープ持ってないよ。
いや、別に自慢でもなんでもない。だって『地獄の黙示録』のストーリーって「木乃伊取り」にそっくりなんだもの。
「木乃伊取り」のストーリー・・・・吉原に居続けでさっぱり帰ってこない若旦那を連れ戻そうと、大旦那は腹心の一番番頭を迎えに出すが帰ってこない。遊びなれた鳶の頭をだすがやっぱり帰ってこない。ミイラとりがミイラになってしまうのだ。そこに名乗りを上げたのが、田舎者で実直な飯炊きの清蔵。剛毅木訥は仁に近し、今度こそは大丈夫そうだが、さて・・・・・・
ね、ほとんど一緒でしょ。
今回の「木乃伊取り」、ただの「木乃伊取り」ではない。題して『地獄の黙示録的木乃伊取り』だ。
あんまり書くとネタバレになっちゃうので自粛するけど、『地獄の黙示録』の細かいパロディが随所にちりばめられていた。直前にビデオを観たからこそわかる細かいディティールもある。ああ、書きたい。でも書けない。
じゃ、一つだけね。映画『地獄の黙示録』は、そのほとんどが偵察ボートでナング河を遡上していく場面なのはご存知の通り。そこでこの『地獄の黙示録的木乃伊取り』も清蔵が吉原に向かうのも舟で向かわせてるのだ。そしてその船頭が「船徳」の徳さんという大サービス。
「船頭がいねぇって、あそこの柱に寄っかかって良い恰好の若いのがいるじゃねぇか」
で場内一部は大ウケだった。
中村誠一さんのサックスも凄かったな。バスサックスを吹く中村さんは初見だった。当然、ワーグナーとドアーズかと思いきや、意表をつくサックス版「六段」。渋いなぁ。
会場では、嵐山光三郎さん、石田千さん、田村セツコさん、中村誠一夫人・悦子さん、花田紀凱さん、渡辺直樹さん、国立組ではキャットフィッシュ(=エソラ)のマスオさん、経営コンサルタントの朝倉潤さん、「鰻の押田」のダンナ、マスオさんの同級生のシオカワさんにお会いした。
終演後は、原稿締切がある金原瑞人さんを見送り、石塚さんと寛也師匠と僕の三人で赤坂の居酒屋で軽く一杯。短時間だったが結構盛り上がりしゃべりすぎてのどが痛くなった。
なんとなく、もしかしたら面白いことが起きそうな気もする。形が見えてきたらまたここで報告しよう。今報告できるのは、うっかりものの寛也師匠が刺身に中濃ソースをかけてしまい、もったいないからと僕が食べてしまったことぐらいだ。