続続続続続「FM国立」があった

   最終放送日が来た。学校からは山ほどの手紙を持って帰った。家に帰るとすぐにあきらの家に持って行った。

  でも学校で書ききれなかったのか、あとから我が家のポストに入れてくるやつも結構いて、放送開始時間まで何度かあきらの家との間を往復することとなった。

  最終回の放送はリクエスト曲を挟みながらも、ほとんどみんなからの手紙を読むだけに終始した。

  あっという間に放送終了の時間が近づいてきた。最後にあきらは今まで手紙をくれた人の名前を呼んだ。

「白馬の星、小梅、小夏、ウルトラセブン、サカボー、ピンクリー、ジミーペイジの弟子、ミッシェル、ミネンコ、ミヨちゃん・・・・」

  当然、僕は別格である。放送の第一発見者であり、運営のサポーターだった。僕の名前は最後の最後で「いろいろ世話になったね、マネージャー」とメッセージつきで呼ばれるものと思っていたが、その他大勢の中に埋没し抑揚なく「マネージャー」と呼ばれ、少なからずショックを受けた。


  最後の曲はクラプトン(デレク&ザ・ドミノス)の「いとしのレイラ」。7分を超える大曲、激しい前半部3分と静かな後半部4分の対比が印象的な名曲だ。長くも短くも感じた後半のピアノも終わり、曲は終わった。

一拍おいて、あきらは一言、

「じゃ、さようなら」

といい、そして電波は途絶えた。右に振り切っていた受信メーターがパタンと左に倒れた。スピーカーからは「ザーーー」という音が流れた。


   FM国立が終わった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

  これが、僕が知る「FM国立」のすべてだ。その後もあきらとは線路沿いにあった喫茶店「カルディ」でよく会い、友達ではあったが、もともとロックファンでない僕はだんだん足が遠のくようになり、高校に入る頃にはすっかり音信不通になった。今、どこで何をしているかまったく知らない。


  今はインターネットがあり、高校生だろうが中学生だろうが誰でも自分なりの情報発信が出来るようになった。苦労して危険を冒してFM電波を発信する必要などなくなった。

  でも30年前のこの町には、自分だけのメディアを目指した1人の若者が作った海賊放送・FM国立なんてものが確かに存在したのだ、という、今は昔の物語である。

  
                       《おわり》