なぎら健壱著 『歌い屋たち』 (文藝春秋)

 昨日はツマが不在で子ども等とカレーを作ったわけだが、そんな時もつい遠藤賢司の「カレーライス」を口ずさんでしまうお年頃である。「フォークの呪縛」とでも言うんだろうか。

  そんなわけでこんな本を見かけるとつい手にとってしまい、手にとってパラパラとめくるとつい買ってしまうのだ(立読みはキライ)。

  テレビのバラエティで絶妙なポイントのはずし方をする、あのヒゲのオジサンの初の長編小説である。テレビで見ていても神経の細かそうな方だなぁと思っていたが、この小説もなかなか繊細でリリカルなものだった。

  時は1970年代前半。工業高校を卒業し下町の塗装工場で働き、楽しみは寮で友とかき鳴らすギターと、交わすフォーク談義だけが楽しみの主人公。時代である。彼もメッセージ性の強いプロテスト・ソングを信奉していた。そこに現れたのが同僚の謎多き中年男・安堂。上野の戦災孤児から「流し」になった安堂のギターと歌を聴くうち、彼の心に疑問が沸き起こる。「俺達の歌う反戦歌ってなんだ・・・・」。

  オープニングからしていい。時代は現代、筆者自身がモデルと思われるフォークシンガー(歴戦のツワモノ)の主人公が東北のある町のライブに出演することから始まる。そこから1970年代に遡るのだけれど、現代の東北の町の描写がすごくいいのだ。うまくいえないのだけど主人公の背中が見えるようなのだ。主人公の背中越し、肩越しに東北のある町(多分、山形)の風景や町を行く人が描写されていく。

  謎の中年男・安堂がいいなぁ。彼が語る「人生の重み」みたいなものには圧倒される。でも抑制が効いて言い過ぎてない。だから臭くない。昔はこんな大人、こんな「先生」がいたんだな。

  あと、ちょっと懐古趣味になっちゃうんだけど、あのころのレコードを買う感覚を思い出しちゃったな。今はほんとテキトーに無造作にCDを買っているけど、あのころは爪に火をともすようにして一生懸命に買っていたなぁ。あとレコードをかける感覚、ターンテーブルにていねいに?安置?したレコードに針を載せる感蝕も思い出したな。ナガオカのスプレーの匂いとかも・・・・。 


なぎら健壱著 『歌い屋たち』 (文藝春秋・1785円)

歌いや