童話作家・今江祥智さんと富士見湯

きっかけは書評家でエッセイストの岡崎武志さんのブログだった。

6月30日の記事にあったのが次の一文

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今江祥智「童話」術』をぱらぱらめくって読んでいると、今江さんが、六十年代、小金井市国立市と住んでいたことがわかる。(中略)「国立に住んでいたころ、風呂屋にいくとき、となりの古本屋に本をもっていって、帰りにお金もらって、それでおかずを買って帰るということを毎日やってた」と語っている。

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これを読んだとき僕は身体が震えた。「これってウチだ」と確信できたからである。

ウチというのは古本屋の方ではなく風呂屋のほうである。当「蕃茄庵」で何度も書いているように、僕の家は国立駅前・富士見通りで銭湯を営んでいた。そして、たしかに隣(正確には隣の隣)は古本屋だった。昭和40年代前半のことである。

今江祥智さんについての解説はいるまい。『優しさごっこ』『ぼんぼん』等で知られる我が国の児童文学、童話の泰斗である。

その今江さんが無名時代にわが富士見湯に通ってくれていたとは嬉しいじゃないですか。

さっそく晶文社刊『今江祥智「童話」術』を取り寄せ、購入した。うん確かに書いてある。間違いない、これはウチだ。

また今江さんは「山の中腹に住んでいた」とも書いておられる。これは国立から東方向、つまり国分寺に行くときに登らなければならない段丘のことだろう。それも「山」という表現から考えると、特に傾斜がきつい線路の近くのエリアと考えられた。これも間違いないだろう。


こんなことを興奮して方々で吹聴していたら親切な人が現れた。今江さんとお付き合いのある人で、「聞いといてあげる」とのことだった。

そこで僕は上のようなことをA4一枚の手紙にまとめた。もちろん富士見湯と件の古書店を入れた国立の地図を入れて。さらにはその地図には「このへんにお住まいではなかったですか」とマル印をつけた。そしてそれを今江さんのご自宅にファックスを入れてもらったのだ。

あっという間に今江さんからの返事が来た。まさしく富士見通りの「富士見湯」とその隣りの古書店であると書いてくださっていた。そして「エンハイナモノですな」とのメッセージも。

さらに幸運なことに電話で直接お話しする機会にも恵まれた。今江さんは富士見湯三代目との出会いを喜んでくれて、しばし国立のお古い話に花が咲いた。

件の古本屋さんは建物としては富士見湯の隣の建物だったんだけど、間に小さなお煎餅屋さんがあった。古本屋さんも二間間口の小さな店で、ご主人が油絵好き。店にはよく描きかけの油絵が無造作においてあって、店で絵筆を執られることもしばしばで、よく本に絵の具が飛んでいた。

なんて話もしたら「そうそう、そうだった」と快笑。また他の国立の古書店にもしばしば足を運ばれていたという。

住んでおられたエリアも僕の推理はドンピシャで、線路から2本目の道の国立−国分寺市境の急坂に面した場所に住んでおられたそうだ。


かくしてわが富士見湯も、日本の児童文学史に名を残す事が出来たのである。と日記には書いておこう。それは大げさにしても、若き日(三十代)の今江さんが国立の町で暮らし、富士見湯に通ってくれたことを知ることが出来たのはなんともうれしい。

きっかけをくださった岡崎武志さん、仲人をしてくれた某誌編集部のNさん、ありがとうございました。