ポンパ列車のこと

明日に迫った、嵐山亭「ピアノマン ウィーンの憂鬱」の準備をしないといけないんだけど、9月26日の日記にちょいと書いた「ポンパ列車」についてどうしても書きたいことがあったので・・・・。

1970年代初頭。ポンパ列車と言うものがあった。ディスカバージャパンの気運の中、国鉄と日立が組んだプロジェクトだ。

SLの「C11」が引っ張るポンパ列車なるものが全国の町々の駅を回り、熱狂的に迎えられたのだ。極彩色にペインティングされた客車の中には、カラーテレビを中心とする家電やその製造過程が展示されていた。それ客車の通路を何時間も並んだ後、通り抜けると言うものだ。

僕も行った。お父さんが国鉄マンであることが何よりも自慢な同級生のエイヂ君が、

「俺の父ちゃん国鉄マンだから俺も家族パス持ってるんだ。改札で俺が父ちゃんの名前出して敬礼すれば、お前らもタダでしかも並ばずに入れるよ」

と豪語するので大喜びでついていったのだ。もちろん「敬礼一つで」なんてことはなくて、何時間も並んで入場券を買って入った。

そして、その実体は上で書いた通り。かなりつまらないものだった。でも26日にも書いたとおり、つまらなかったからこそ35年経っても忘れられない大切な思い出となった。エイヂ君、ありがとう。

ところで「ポンパ」とは何か。日立のカラーテレビのイメージキャラクターの鸚鵡である。「ポンパ」の意味は、スイッチを「ポン」と推せば「パッ」とつく、で「ポンパ」だ。そう、昔のテレビはスイッチを入れても着くまでにずいぶんと時間がかかったのだ。現在のパソコンを立ち上げるときを想像していただければいい。

さて、ここで問題です。家電の宣伝用の列車であった「ポンパ列車」が走る音はどんなだったでしょうか?



答え、  「どです家電〜、どです家電〜」


すまん。でも俺の考える「どうしても書きたいこと」なんてせいぜいこんなものだということは、君もよく知っているはずだ。