母なる大地、吉永学園(仮名)理事会・評議会

午前中はキャットフィッシュで「嵐山暦」の打ち合わせをして、昼には富士見台の「ヤマキ」に行き、長男・虎太郎(仮名・高3)のメガネを買う。

午後からは、地元の「吉永幼稚園(仮名)」、正式には「学校法人・吉永学園(仮名)」の理事会・評議員会。僕は理事の方じゃなくて評議員の方だ。いつのまにやら2期目に入った

初年度にいろいろ関係書類が送られてきた中に「寄付行為」という書類があった。

「いえ、すみません。うちは子どもが多くて住宅ローンもあって世の中不景気で・・・」

 などと言い訳しかけたら、「寄付行為」っていうのはつまり「定款」とか「会則」みたいなものなんだってね。

  その「寄付行為」に評議会の設立が定められていて、それに則って任命されたということらしい。「学識経験者と当学園の卒業生からなる」とのことである。

「おお、とうとう俺も“学識経験者”の仲間入りか」

と思ったら“当学園の卒業生”の方だった。そうそう僕も40年前に卒園しているだ。


  僕はどちらかというと帰属意識の薄いほうで、入社25年になるというのにいまだに職場になじんでないし、いわゆる愛校心もない。それこそ「寄付」なんてしたこともないし、明日、飯田橋清貧大学(仮名)や吉祥寺蛮風高校(仮名)が廃校になっても多分なんとも思わないだろう。

  でも「吉永幼稚園(仮名)」だけは手放しで愛している。生まれた場所と現在住んでる場所が同じという僕に「ふるさと」と呼べる場所はない。でも、というか、だから、というか、「吉永幼稚園(仮名)」が僕にとっての母なる大地、いつでも帰りたい場所だ。さらに言うなら僕の「銀の匙」だ。

  そして飯田橋清貧大学(仮名)や吉祥寺蛮風高校(仮名)を人に勧める気はない。場合によってはおよしなさいと言いたいが、「吉永幼稚園(仮名)」に関しては、全面的にお勧めするし、「いつでも紹介状書きます」という感覚だ。

  40年前にたった2年間通っただけの場所をなぜそんなに愛するかというと、先生方が僕を無私の愛で包んでくださったからだろう。もちろんうちの3人の子どもたちも「吉永幼稚園(仮名)」にいれた。普段はクールな3人も、「吉永幼稚園(仮名)」の話題になると表情が和む。3人も先生方の愛に包まれて成長した。

  だから「吉永幼稚園(仮名)」の役に立てることだったら、何でもやろうと思っている。 とはいえ、数字に弱く、経営感覚もなく、教育にも造詣が浅いので、評議員としてはまったくお役に立てていないのだが、いつかはきっとお役に立ちたいと思っているのだ。