落研青春記  4  戦慄の《教養部合宿》

(11月19日の続き)

とまあそういうわけで、先輩には絶対服従カースト制度があったことをご理解いただいた上で、この先をお読みいただきたいのである。まだまだ続くので覚悟されたい。


入部してすぐの5月、「教養部合宿」というのが開催された。「教養部」とは当時、一年生二年生を教養部と言っていたのだ。つまり、一年生と二年生の合宿だ。新歓合宿という性質のものだった。


スーツ着用で新宿駅に集合、という命が下った。


地方出身の新入生も多いので、華麗なる東京ライフを体験させてやるというのだ。三年四年の先輩方のカンパで、一流のシティホテルがリザーブしてあるという。なんとありがたい。赤坂かな日比谷かな〜。


それから英語の辞書を持参とのことだった。大学の授業で油断していると最初につまづくのが英語なので、先輩たちがそのポイントをレクチャーしてくれると言う。なんて親切なプログラム。


僕は高校の卒業式に着ていった紺のスーツにワインレッドのネクタイをして、かばんには研究社の「新英和中辞典」を入れて、新宿駅に集合した。同期生たちもしっかりスーツを着ている。二年生の先輩たちが現れた。みんなジーンズだ。あれ? これってどういうこと?


まもなく三年の先輩たちも見送りに来てくれた、「お金が足りなくなるといけないから餞別を持ってきたぞ」と。先輩は千円札で作ったレイを首からかけてくれた。そして「これからいくところは日差しが強いからな」と、「富士山登頂記念」と書かれた菅笠を被せてくれた。


先輩たちの万歳に送られて乗った列車は、もちろん赤坂にも日比谷にも副都心にも行かなかった。


妙にニコヤカなジーンズ姿の若者6名と、スーツ姿に千円札のレイをかけ頭に菅笠をかぶってドンヨリとした表情を浮かべた若者4名を乗せた「青梅線直通 中央線」のオレンジ色の列車は、一路、終点の「奥多摩駅」に向けてひた走るのだった。


(つづく)