越南点描〈6〉 ホイアンのウェスタン・スタイル


ベトナム中部の都市・ホイアンは慶長年間には日本人町があったと言う歴史の街である。


11月14日の日記に写真を載せた「来遠橋」は別名「日本橋」と言って、日本人が作ったと伝えられている

来遠橋 別名、日本橋 


彼の地での昼食は「PHO HOI」というレストランに行った。300人くらいは入ろうかと言う巨大なお店で、中国風のインテリアに「會安酒采」の扁額。「會安」はホイアンの中国表記だから「ホイアン食堂」みたいな意味なのかな。


欧米人の団体が多く、入口には英語で「VIET-NAM FOOD」「CHINESE FOOD」「WESTERN FOOD」の看板が上がっている。なるほどベトナム料理も中華料理もいけるわけね。「ウェスタンフード」・・・、ああ西洋料理のことね。


と、ここで僕はトイレのことを思い出すのである。


1960年ごろのことである。当時は西部劇が大ブーム。「荒野の七人」や「シェーン」が封切られた頃である。


映画雑誌に「ウェスタンスタイル論」の寄稿を求められた若き日の永六輔氏(当時26歳位かな)は、数ページに亘って洋式便所について論じたてた。例えば、フリンジの鹿革ジャケットやテンガロン・ハットの服装をウェスタン・スタイルと称するのは和製英語で、本当の「ウェスタンスタイル」とは洋式便所のことをいうのであるからと言う理由のキツい洒落だった。でもその原稿をそのまま載せる映画雑誌も粋だった。



とまあそういうわけで気になるのは「PHO HOI」のトイレである。行ってみて僕はちょっと感激した。なにがって同レストランのトイレが見事に「ウェスタン・スタイル」だったからである。