仕事始めの「神参り」と「算盤」

仕事始め所感。

初詣の混雑振りが毎年の新年に報道される。「○○神宮に○○万人、待ち時間○時間」とか。それを見て「ご苦労なこったなぁ、物好きな・・」と賢しらげに思ったことも正直言ってあるのだが、近年考えが変わった。

宗教上の制約がある方は仕方が無いし、それは尊重しなければいけないのだけど、そうでない方はちゃんといかなきゃいかん。年の初めのけじめとして並ぶとわかっていても混んでるとわかっていてもちゃんといく。そのキッチリとけじめを守る心、辛抱を厭わない心が必ずサクセスを呼び寄せる。人、これを「ご利益」と呼ぶ。当然、その逆も然り。


なぜそういう風に思うにいたったかというと算盤である(神様と算盤の話をするからといって出雲のまわしものではないよ)。今は知らないが、僕が子どもの頃には学校で算盤の授業があった。そろばん塾に通っている子が当然にうまい。通っていない上に手先が不器用な僕はかなり差をつけられていた。悔し紛れに、

「コンピューターの世の中に、算盤なんて古い古い!!」

と節をつけて囃し立てたものである(当時まだコンピュータはSFの世界のものだったが)。

しかし、だ。当時、ちゃんと算盤を真面目にやっていた子たちというのは、やっぱり大人になってちゃんとしているんだよねぇ。ちゃんときっちり算盤の練習をした子達というのは、今もちゃんときっちり社会人をしているんだよねぇ。そのコンピュータだって必要とあらば使いこなしているんだよねぇ。地道な努力と集中力を必要とする算盤の修業を続けるという心がやっぱりサクセスをよびよせるんだよなぁ、きっと。

というわけで、地道な努力と集中力と辛抱と「キッチリ」の欠如、それが僕の最大の弱点なのだである、つまり。


なんか情けない年頭所感だなぁ。
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算盤に対する僕の畏怖は下の画像、2004年の年賀状をご覧いただければお分かりになると思う。