引き続き復刊の話で恐縮である。読みたかったけど手に入りにくかった作品が次々と読めるようになって、嬉しい限りである。
今日、ご紹介するのは、三木卓著『ほろびた国の旅』(講談社)だ。
この表紙画像を見て「またかよ・・」と思った貴方・・・、
軽率であるっ!!!
いえ、うそうそ、僕が悪い。ことあるごとに無邪気に「満鉄特急 あじあ号」の話をしているので、「またかよ・・」と思うのは当然である。
てもこの本は、無邪気にこういうものを懐かしむ気持ちに、「!」と「?」を投げかけるものでもある。無邪気と無神経は紙一重である。一心同体である。そんなシンプルな事に気づかされ身震いする。
舞台は昭和29年。浪人生の僕(三木卓青年)が、ふとした弾みで図書室の亜空間を落ち込みタイムスリップ。落ちた先は自身が少年時代を過ごした満州、昭和十八年の大連だった。
「満洲の子ども五族協和の夕べ」に紛れ込むものの、憲兵らに追われての逃避行、幼馴染みの日英混血少年との出会いと別れが甘酸っぱい。格納庫の中の戦闘機のコクピットで二人で過ごす夜明かしは、耽美的ですらありドキドキする。
懐かしい我が家を目指すも、そこで会うのは、記憶以上に(満洲人に対して)差別的でそれを疑問とも思っていない幼い頃の自分だった。
そして、また紛れ込んだ「満洲の子ども五族協和の夕べ」ご一行は、汽車での旅に出る。もちろんその汽車は「あじあ号」だ。その中で出会う朝鮮人の子ども、中国人の子ども、ロシア人の子ども。かれらはみな深い悲しみの中にいる。いったいこの満州国と言うのはなんなのだろうか・・・。
そして旅の後半で出会うのは、この数ヵ月後に死ぬことを知っている身近な人だった。
つまりこの列車は銀河鉄道、すなわち死の列車なのだな。「ぼく」はジョバンニでありカンパネルラだ・・・。
ああ、なんて切ない。
実はこの小説、三木卓が1969年、34歳で書いた小説の復刻だ。1969年。日本がどこに向うかもしれない高度成長という特急列車を走らせていた時代。昨日の「忍者武芸帳」が50年前の作品、これが40年前の作品。ともに全然古くないから不思議。
イラストは矢吹申彦。表紙も本文も。また今復刻版のスペシャルである城戸久枝の解説も親切でいい。
児童文学の範疇に入るんだろうけど、大人でも十分たのしめる作品だ。これもおすすめ。次から次へといい本が復刻されるので忙しくてしょうがない。
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