承前・清野とおる『東京都北区赤羽』

『東京都北区赤羽』

さらに言おう。この著者の凄いところは「初回」で済まさないところだ。先にも書いたが、ヘンなキャラ立ちの人物と言うのはどこの町にでもいる。僕自身も中学時代、通学路に出没する謎の行者の後をつけてその寓居をつきとめ、翌日の学校での武勇伝としたことぐらいはある。また50に手が届こうと言う今でも、いかにもダメな店に食中毒覚悟で(ってことはないが)入ってみたりはする。でもそこまで。


昔の吉原遊郭では、客が初めて登楼することを「初会」と言った。で、二回目に登楼することを「裏を返す」と言った。そして三回目に登楼することを「馴染み」と言ったそうだ。この前、立川談四楼さんに聞いた。


昔の吉原遊郭では

「初会惚れして私ゃ羞恥(はずか)しい、裏に来るやら来ないやら」

と言ったのは志ん生だったか三亀松だったか・・・。

 
いやそんなことはどうでもいい。とにかくこの著者は「裏を返し」、さらには「馴染み」となっちゃうのだ。いかにもダメダメな店の常連客となり、アーティスティックな初老の女性ホームレス・ペイティさんと実懇の間柄になり、彼女の歌のテープをコレクションしたりする。すぐにズブズブと抜き差しならぬ間柄になってしまう。この好奇心と冒険心は半端ではない。きっと・・・、人間が好きなんだろうな。


またさらに言おう。よく「最初の一歩が肝心」なんてことをいう。でもね、重要なのは「一歩より二歩」なのだ。


「泥濘(ぬかるみ)」で考えよう。

泥濘では最初の一歩なんてのはあまり意味を持たない。最初の一歩なんてのは、泥濘に一歩踏み入れつつも軸足は安全な地面にある。重心もそちらにある場合がほとんどだ。いつでも前足を後ろに引っ込めれば、ちょっと爪先が汚れるだけで元に戻れる。しかし、次の二歩目を出したら最後、両足とも泥濘の中。沈むか前に進むかしかない。

泥濘がわかりにくければ、上島竜兵出川哲朗の名人芸、熱湯風呂で考えてもいいだろう。彼は爪先をちょんちょんとつけたりはしない。頭から、尻からザブンと入る。いや、すまん。かえってわかりにくかった。話を「ぬかるみの世界」に戻そう。

ぬかるみの世界

ぬかるみに対峙した清野は常に二歩、三歩を踏み出す。これは好奇心、冒険心云々というよりもはや「求道的」とさえいえる。「趣味」というより「生き様」だ。


そんなディープな「旅行記」がこの『東京都北区赤羽』。話は文句なく面白く、またホロリとさせられる場面も多い。それらエピソードを包む絵がまた・・・、微妙。というか下手といっても過言ではない。でもそこがいい。この味は谷口ジローには出せない(他意はない。谷口さん大好き。絵が巧い漫画家の例として名前を出した)。ちなみに著者のブログ、題して「清野のブログ」のURLは、http://usurabaka.exblog.jp/

 

昨今は『ダーリンは〜』『〜三姉妹』等のエッセイマンガが大はやりで、市場も整えられた。この『東京都北区赤羽』もその波に乗って一気にメジャーに・・・、って展開は考えにくいとは思うのだけど、一読の価値はございますぞ、皆さん。多分、歴史には残らないから、「読むなら今!」。

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