「こきんちゃん」がいっぱい

話は違うが、「へんりっく 寺山修司の弟」 が明日、千秋楽。行きそびれている人は明日がラストチャンス。夜20時50分、渋谷・イメージフォーラムに集合だ。



さて、またしても日経新聞である。今朝の日経朝刊に気になる記事があった。


「こきんちゃん商品化」だそうである。小金井市ゆるキャラが「こきんちゃん」という。地元に縁のある巨匠・宮崎駿のデザインだそうな。そういえば、「千と千尋」の「坊」に似てないこともない。


でも・・・。「こきんちゃん」と言われて「えっ?」と思う演芸ファンも少なくないだろう。

「こきん」と言えば当然、「柳家小きん」である。いや、当然かどうかは自信がないが、「こきん」と言えば普通、「柳家小きん」だろう。


僕が「笑点」を見始めた1960年代後半、大喜利のメンバーだった。目がクリッとした童顔だった。ふてぶてしい小痴楽と好対照だった。

小きんが「つば女」となり(「つばおんな」と読まないように。「つばめ」である)、酒乱の小痴楽が梅橋となり、ともに笑点を卒業した。梅橋は結局酒で命を縮めて数年で死んだ。つば女も数年前に亡くなった。


その前の「小きん」は後の「小せん」だそうだ。とぼけた芸風で「お笑いタッグマッチ」のレギュラーだった。うちの近所のパン屋「幸月」のおじさんが、小せんに似ていて、毎週日曜日にアイスクリームを買いに行くのが楽しみだった。もちろん顔が似ているだけの無愛想な親父で、面白いことを言ってくれるわけではない。でもなんとなく好きだった。数年前に亡くなった。

あ、いや、亡くなったのは小せん師匠ね。とうに閉店したパン屋の小父さんの消息は知らない。


「つば女の小きん」の次の小きんが、四代目・桂三木助の前名である。名人と呼ばれた三代、芝浜の三木助を父に持ち、将来を嘱望されながら、数年前、自死の道を選んだ。


当代の小きんさんの事は寡聞にしてよく知らない。でも「小きん」の名は出世名である。ぜひ精進していただきたいと思う。


と、食い入るように日経新聞に見入るオヤジの頭の中で、めまぐるしくこんなことが考えられているなんて、地下鉄・東西線の隣席の人は思いもしなかったろう。




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