《11月28日の旅日記から》
遠い昔のことなのに、かつて敵対した二つの土地の人同士、現代を生きるそれぞれの子孫たち同士が敵対、または微妙な関係、ということがよくある。
たとえば、水戸と彦根。桜田門外で敵対した水戸と彦根が和解して親善都市提携を結べた時期は、事件発生からなんと110年後の1970年であったという。
さらには三河の吉良町と播州赤穂、その和解も数年前にやっと、だったらしい。260年?
「和解した」と言うことは、「それまで敵対していた」と言うことの証左に他ならない。いやはや難しいものである。
それはともかく先日、11月28日の土曜日。関西出張中だった僕は16時30分に梅田で解団式を迎え、 晴れてお仕事が完了した。皆さんたちと手を振って別れて大丸百貨店に寄って和菓子と日本酒を買った。これからの訪問先へのお土産である。
梅田駅から環状線に乗り西九条へ。そこからは特急列車。17時17分の紀勢本線の「特急くろしお」に乗って南下する。目指すは和歌山県だ。
かつて出張族だった僕は日本各地に行っていて、ほとんどの道府県に行っている。行ったことがないのが2県だけ。それが宮崎と和歌山だった。つまり、これが初めての和歌山だ。
列車は程なく和歌山県に入ったが、外はもう暗く景色など見えない。だから実感はなかった。和歌山駅に着いたがそれはあまり変わらなかった。
僕が目指すのはもっと南だ。目指す駅は「藤並」という。でもこの「くろしお」は藤並には停車しない。途中で乗り換えないと。時刻表をみると「箕島乗換え」とある。
み、箕島ぁ!?
何回も、何十回も、何百回も書いているが、僕は東京都は国立市の出身で、今も住んでいる。歩いて20分ほどのところにわが国立高校がある。「わが」と書いたが出身校であるわけではない。国立高校は有数の進学校である。あくまで「地元の学校」という意味である。
その超・優秀校である都立・国立高校が甲子園に出場するという椿事がおこったことがある。当時、都立で初だった。1980年の夏だ。大学2年だった。
そりゃあ、町中がお祭り騒ぎだった。しかも監督がうちのお向かいの洋服屋さんのご主人で、報道レポーターとして若き日の田丸美寿々が来たりして、そりゃあ、町中がお祭り騒ぎだった。
カンパを募ったら、アッと言う間に満額行ってしまったという。町からは応援隊が結成されてバスを仕立てられた。とにかく町中がお祭り騒ぎだった。
そして第一試合。手に汗を握り、固唾を呑んで見守る国立市民。
いよいよ試合開始。結果、5−0であっさり完敗。
その時の相手が箕島高校だったのだ。
名門の強豪校だ。実力の差は歴然としている。見事な試合振り。負けて悔いはなかった。納得の負けだった。国立高校もよく頑張った。いい試合だった。負けて爽やかだった。
翌日はバイトに行った(当日はバイトを休んでテレビ観戦)。爽やかな気持ちで出勤した。
そしたらバイト先の嫌味なオバハンが、
「ボロ負けだったわねぇ、恥をかきに行ったようなものじゃないの?」
とぬかしおった。思わず商売ものの靴墨を口に詰め込んで、隅田川に蹴落としてくれようと思ったんだけど、国高球児たちの爽やかな笑顔を思い出して思いとどまった。命拾いしたな、オバハン。
だから、和歌山上陸の第一歩。乗換えで箕島駅のホームに降り立った時も、その時の悔しい思いが甦ったのである。
み、箕島ぁ・・・。
あ、でも箕島高校には何の非もない。立派な学校だ。悪いのはあのオバハン。金歯を光らせたあのほくそえみが脳裏に甦った。29年ぶりに。だから和歌山上陸の第2歩目には、
た、谷山ぁ・・・(実名)。
と悪意に顔を黒ずませた。でも、よく考えたらその数日前、僕は彼女の出身県の代表校の敗北を同じように揶揄したのだった。思い出した。原因はオレじゃん。
だから和歌山上陸の第3歩目には平常心を取り戻し、向かいホームに待つ鈍行に乗り換えた時には、旅の高揚感がすっかり甦ってきた。
18時36分。紀勢本線・藤並駅に僕は降り立った。
〈ああ、また本題に入る前にこんなに脱線してしまった。続きは明日〉
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