聖イグナチオに産湯を使い・・・

〔4月25日の日記の続き1〕
そういうわけで、バンビ食堂を出てからのブラブラ歩きである。木曜や金曜の夜には佃煮にするほど酔っ払いであふれる「しんみち通り」も日曜の真昼間とあって、シーンとしている。


人気の少ないビルに、出版・印刷関係者ならギョッとするようなブティックを発見。

ここで売っている服はみんなマダラ縞模様だったりするのか。
(モアレの解説はこちらを)


それから見附を見上げたり、堀を覗き込んだりして四谷駅周辺を徘徊しているうちに、いい時間になってきた。


ホテル・ニューオータニに向かう土堤沿いの道を歩くうちに、まわりに浅黒い肌の陽気な人々が増えてきた。みんなお洒落をしている。原色がまぶしい。

彼らが向かうのは聖イグナチオ教会だ。見ると12時半からポルトガル語のミサが開かれる。陽気な彼らは教会に集まる敬虔な善男善女たちなのだ。大半が在日ブラジル人と思われる。


道端にはポルトガルらしき読み慣れない外国語が書かれたチラシを配っている人がいる。鉄板でなにやら炒めて売っている人もいる。

中くらいの大きさの段ボール箱を抱えたおばさんがいた。前を通ると油の爆ぜる匂い。思わずダンボールの中を覗き込んだら、カセットコンロの上に鉄鍋を載せて、春巻き(風のもの)を揚げながら売り歩いているのだ。転んだりしたら大惨事。命懸けの行商(普通、懸けるのは自分の命なんだけど、この場合は他人の命も懸けている)。

それはともかく、「ああ、門前町というのはこうしてできたのだなぁ」と小学校の歴史の時間を思い出した。

この聖イグナチオ教会、僕にとってまんざら縁の無いところでもない。実を言うとここで受洗しているのだ。もっとも赤ん坊のころの幼児洗礼だからなにも憶えちゃいないけど。車寅二郎の「帝釈天に産湯を使い」を真似るなら「聖イグナチオに産湯を使い」と言ったところ。もしこの先、僕が香具師になることがあったら啖呵売の口上に使おう。


吸い寄せられるように教会にはいり、さらには売店に。つい本を買ってしまう。

聖母文庫の『ホイヴェルス神父 信仰と思想』。

ホイヴェルス神父

大正末年から昭和40年代までの長きにわたり、聖イグナチオ教会の司祭として、また上智大学の教授として多くの尊敬を集めた人である。僕も母から「ホイヴェルス神父さまが・・・」と名前だけは幾度と無く聞いて憶えてしまっている。


そうか、12時半からポルトガル語のミサか・・・、とのんびりしている場合じゃないぞ。財布の中からチケットを出して確認する。「12時半開場」。

僕は『ホイヴェルス神父 信仰と思想』をカーゴ・パンツのポケットにしまうと、「紀尾井ホール」への道を急いだ。下駄の音がうるさくてハタ迷惑。

<明日に続く>



は5月14日(金)から!!

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