日本橋の春

よく降りますなぁ、雪。


そう、東京MXテレビを見ていて腹が立った話ね。


「東京BAY」って番組で、バウバウの松村邦洋(そう、彼は東京マラソンで死にかけたんだから、東京都はちゃんと面倒見なくちゃいかんよ)とアシスタントの女子が、昔の写真の撮影場所を探り出し同じアングルの写真を撮るという内容だった。ありがちながら、写真を通して東京の近現代史をなぞるというものだった。


その「ミッション1」が日本橋だった。昭和27年の写真だからあの高速道路はまだ無い。


僕も好きな場所で2年前の春、次男・三吉(仮名・当時小6)との「男旅」で、そこを基点として徒歩ツアーを敢行し一回目は調布でリタイアしたが、二回目のトライでは国立の自宅までの38キロを歩ききった経験がある。



で、その設問となった日本橋を高いところ見下ろしたヴィンテージ写真が「西川ふとん」の屋上から撮られたと紹介されていたので僕は怒ったのである。西川はそのころまだビルじゃないだろう、撮影箇所はとなりの白木屋だろうと。


白木屋をご存知だろうか。駅前の赤い大看板が目印の居酒屋チェーンじゃないよ。白木屋デパート。江戸時代初期創業の呉服屋をルーツにもち、昭和初期の大火が「婦人よ申又(ズロース)を履こう」キャンペーンのきっかけとなったという都市伝説を持つ(ガセである)。戦後は乗っ取り屋・横井英樹(後にホテルニュージャパン火災で有名になる)に狙われてモメに揉めるが東急総帥の五島慶太が調停に乗り出し、当然「強盗慶太」と異名をと五島の方が一枚上手で、結果的に東急百貨店日本橋店になった。それも10数年前に閉店。現在は「コレド」なる商業施設になっている。


このくらいのことはみんな知っていることであろう。少なくとも僕は父から聴かされて小学校高学年の時には知っていた。別にうちの家庭環境が特殊ということはないはず。


それで、あの写真は西川じゃなくて白木屋だろう。いいかげんなことぬかすない!!と怒っていたのが昨晩の記事のエンディングである。怒りのままに一気に書こうとも思ったのだけど、日付も変わったし眠いのでやめた。


「怒りの手紙は一晩寝かせ」は至言である。一晩寝て落ち着いて考えてみると、あながち間違いではないように思えてきたのだ。角度的に。むしろ西川よりも日本橋からの距離がある白木屋(現在のコレド)からはあの写真は撮れそうも無いような気がしてきたのだ。それに、ネットで西川の公式サイトなど探してみたが、日本橋西川ビルの建築年まではわからなかったのも弱気の一因。

うん多分間違えたのは僕。東京MXさんごめんなさい。言いがかりをつけました。


いやはや歴史は取り扱いが難しいや。触るのよそう。もう語るまい。


日付も変わって、疲れたんでもう寝ます、西川のムアツふとんで。<こしおれ>


古(いにしえ)は 語らず春の 日本橋


そうそう、ネットで検索したらちょっとびっくりする事実が見つかったぞ。日本橋西川の東京唯一の支店って国立にあるんだね。