兼松講堂に続いて時計台の話である。
これも一橋大学のシンボル。こんなに高層マンションが林立する前は国立中どこからでも見えた。もちろんうちからも見えた。また今でも多摩蘭坂の上から見える。国立の原風景。嵐山光三郎先生の小説にもたびたび登場する風景だ。
実は図書館なのだ。
きのうちょっと書いたけど、ここにも潜入した。時計台に登りたかったのだ。
冒険小説では時計塔の中って、建物一杯に大きな歯車がたくさんあってかっこいいじゃない。ぜひ見たいと思った。怪盗ルパンにでもなった気分。
入口から堂々と入る。学生や教員とも多くすれ違ったが咎める人など居ない。おおらかな時代だった(良い子はマネしないように)。
いったん屋上に出て、雨どいを伝って2,3メートルの段差を二回登ると時計塔の根元。鉄の扉を開けて時計塔に入る。
中は建物一杯に大きな歯車がたくさんあって、なんてことはなくてがらんどう。鉄製の階段を登った先の時計の位置の裏側に直径一メートルばかりのムーブメントがあるだけ。あとは鳩だらけ。当然、鳩のフンだらけ。ちょっとがっかり。
でも時計塔の屋上からの景色はさすがに絶景だった。当時は高層マンションなど無いから三多摩中が見えた。
とりたててすることも無いから、皆で大きな声を出した。
「いーしやーきーーいもーー」
事件が起きたのはその後。屋上の段差を降りるとき、僕が捻挫をしてしまったのだ。下図の位置の段差ね。たぶん2メートルちょっとだと思う。
皆はヘリにぶら下がって落差を減らしてから飛び降りたから怪我をしなかったけど、ぼくはそのままの体勢で飛び降りたので怪我をしてしまった。
蛮勇を奮ったわけではない。落差は小さくとも後ろ向きに飛ぶのが怖かったのだ(実際、僕が後ろ向きに飛んだら後頭部を打ってもっと重大な怪我になっていただろう)。
結果、タチの悪い捻挫で、2,3週間歩けなかった。
当然学校も休んだ。
無論、勉強も遅れる。その遅れはいまだに取り戻していない。
学校でも当然評判になった。
「蕃茄が一橋の時計台から落ちて怪我をした」
と。「時計台から」落ちたら普通、怪我ではすまない。やはり小学生と言うのは馬鹿である。
ても、収穫もあった。このとき、2,3週間歩けずに松葉杖を使っていたのだけど、ある日突然に歩けるようになった。何の前兆も無く。
だから今回の病気でも「突然歩ける日」がくるような希望的観測がもてたのだ。前向きな気持ちになれた。
まだ「その日」は来ないのだけどね。<今日の一句>
春がすみ 塔の頂(いただき) 隠しをり
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