くにたち市民オーケストラ ファミリーコンサートさらに積み残し 〜兼松講堂と僕の古傷


そうそう兼松講堂の話ね。それと僕の「古傷」の話ね。



兼松講堂。安田講堂日本香堂と並ぶ日本三大講堂のひとつである ( よそで言わないように )。一橋大学の、いや国立のランドマークで 、古川柳にも 「くにたちも兼松までは江戸のうち 」 と歌われている( これもよそで言わないように )。


明治神宮神殿や築地本願寺等を設計した伊東忠太博士の設計のロマネスク建築。こちらのサイトがその魅力を良く伝えているのでご参照を。

兼松講堂   ←クリック!!


こういうところを子供のころから遊び場にしているので、地方都市に行ってガイドブックに載っている県庁舎や市庁舎や駅舎を見せてもらっても「はぁ・・・」としか言えなかったりする。



ここで音楽を聴くのは3回目と言う話だ。今みたいに多くの人で賑わう前の一橋祭での学生バンドの演奏はカウントせず。


最初は20年位前かな。沢田研二リサイタルに行った。ジュリー自身が、


「ここの音響・・・・凄いね」


と苦笑いするほど当時はひどかった。石造りそのまんまなので洞窟の中で演奏するようだった。



クライズラー&カンパニーに行ったこともあった。これも結構前だな、葉加瀬太郎高田万由子が結婚する前。


当時、やはりクラシックとポップスを融合させたバンドに「G−クレフ」があって人気を二分してたのだ。会場は、最新のサウンドとしてのクライズラー&カンパニーを楽しみたい若いファンと、クライズラー&カンパニーの中のクラシックのモチーフを楽しみたい中高年のノリのギャップが水と油で面白かったなあ。かたやいきなりタテノリですから。


お互い「なにあいつら」って感じで。もっとも戸惑っていたのがステージ上のメンバー自身で、MCが双方に気を使ったもので面白かった記憶がある。



さらに古い思い出がある。1969年か70年だと思うのだけど、兼松講堂前にヘルメット、タオルのマスクで武装した100人以上のデモ隊が集結しているのに出くわしてびびったことがある。学生運動に最も遠いところにいるようなイメージの学校のイメージがあるけど、時代だったんだね。



それでね、さっき「こういうところを子供のころから遊び場にしている」と書いたでしょ。


もう時効だから書くけど、不法侵入して探検したこともあった。 「国立北口に赤い山があった頃」でその熱血振りを紹介した「ヒックン」たちと一緒だった。入口の階段脇の空気抜きの窓から侵入したのだ。大人は無理かもしれないが子供なら入れる。伊東忠太博士の盲点である。


入っても何するわけでもない。客席や舞台を走り回ったり、ピアノをめちゃくちゃに弾いたり、舞台上でベルカントで朗々と


「いーしやーきーーいもーー」


と歌うヒックンを客席から「ヤンヤヤンヤ」と喝采したり。


しかしそのあとが良くなかった。図書館にも潜入して捻挫してしまったのだ、僕が。結構タチの悪い捻挫で、2,3週間歩けなかった。いまでも季節の変わり目どはくるぶしの関節が地味に痛むことがある。



それが僕の「古傷」ね。<今日の一句>


 古傷は 痛めど想ひ出 暖かき



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