「国中生新聞」編集部

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尊敬する人形作家・石塚公昭さんの説だが、「人間と言うものは、15歳のときに好きだったものを一生やり続ける」そうである。


なるほど、と思う。


振り返ってみると、僕もそんなところがある。


中3の時に一番夢中になっていたことはなんだったろう。多分、通っていた国立市立第一中学校の学校新聞「国中生新聞」だったと思う。以前書いた「FM国立」騒動は多分14歳のとき。(伝説の海賊放送「FM国立」についての詳細はこちら←クリック)


新聞部、じゃなくて新聞委員会だった。あえて謙遜せずに言うけど、当然、僕は編集長だった。別に有能だったわけじゃない。くじ引きでなっちゃった人たちよりもそういうのが好きだったからである。顧問の岡部純子先生に淡い恋心を寄せていたので気に入られたかったというのも大きな理由。マリリン・モンローに似ていると思っていた。


編集長としてはすこぶる無能だった。まず計画性がない、企画力がない、折衝力がない、人望がない。


それでも何とかできたのは優秀なスタッフに恵まれていたからだ。


まずは副編のケンちゃん。一年後輩。僕がテキトーにとっ散らかしたいろいろを始末して、端正に纏め上げてくれた。それもいやな顔一つせずに淡々と、しかもスピーディに。後輩ながらなんてシャープな奴なんだろう、世の中にこういう頭のいい人もいるんだなぁと感服した。


その後、JAXAのコンピュータを設計するようになるのだから本当に頭がよかったのだ。やはり僕は人を見る目だけは確かだ(妙な自慢)。


さらにそのケンちゃんが、当時から国立内外にたくさんの作品、オブジェを持つ石彫家の関敏先生のご子息だと、つまり僕のホームグラウンド「キャットフィッシュ=エソラ」店主のマスオさんの従兄弟とはほんの数年前まで知らなかった。


忘れられない人はもうひとりいる。一年後輩の女の子。基本的に僕は面倒くさがりで手のかかることはしようとしない少年だった。つまり単なる「怠け者」で「臆病者」だった。彼女はとりあえず無難に小さくまとめようとする僕に、次々と面倒くさくて手のかかる、だけど実現したらものすごく面白そうなアイディアを次々と出す子だった。それもニコニコと実に楽しそうに。


「ねえねえ蕃茄さん、こんなのどうかなあ、思いついちゃったんだけど」



めんどくせーーーーーー。しかもタメ口だし。



この天才肌の後輩については明日に続く。<今日の1句>



後生を 畏るる春の めでたさよ


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