校歌の思い出


朝、「題名のない音楽会」。


たいして面白いとは思っていないけど長年の習慣。


ゲストは青島広志尾木直樹。初老のオネェ文化人2人のツーショットはなかなか強烈。



特集は「校歌」。英語併記の校歌、四部合唱の校歌、珍しい三拍子の校歌(作曲は在学中だった宮川彬良)、避難民を励ました被災地・釜石の校歌(作詞・井上ひさし、作曲・宇野誠一郎)など珍しいものが聞かれて面白かった。


僕も校歌には思い出がある。小学校、中学校の校歌はともに地域の風物など織り込んだオーソドックスなもので、今でも歌える。が、途中で混ざる。小学校の校歌を歌っていたつもりがいつのまにか中学の校歌になっていたりする。


今はなくなってしまった高校は大学の付属校だったのでオリジナルの校歌はなく、大学と共通だった。


幼稚園の歌。これはなんていうんだろう、「園歌」? 読みはエンカ? 振袖か着流しかラメスーツで歌いたいね。


わが吉永幼稚園(仮名)にもあるよ、エンカ。作詞作曲は市川昭介でも遠藤実でもない。ましてや添田唖蝉坊ではない。作者は初代の園長先生。僕が卒園したあと作られた。



最も忘れらない校歌は子どもらの卒業した小学校の校歌。僕のころはなかった学校。



10数年前のある日、創立25年なのに校歌がないことについての保護者の意見交換会があるというお便りが来た。


僕は校歌なんてものは別になくてもいいと思っている。そんなものにお金をかけるのだったら雨漏りの一つも直したほうがいい(雨漏りなんてなかったけど)。そんな形式にこだわるのは卒業しようよ。


なんて論陣を張ろうと思って出席した。


そうしたら、この辺が僕の間抜けなところなんだけど「制定委員会会長」になってしまったのだ。


いろいろな紆余曲折を経て、校歌はシンガーソングライターの遊佐未森さんに作っていただいた。いい曲だ。テレビ、新聞、雑誌、いろんなメディアに取材していただいたが昔のことなのでなにも残っていない。


あ、唯一「東奥日報」に残っていた。←クリック!



校歌と言えば、校歌をたくさん作った人に詩人の宗左近がいる。いしかわじゅんさんの名著『業界の濃い人』(角川文庫)に出てくるんだけど、宗さんの校歌ってすごく変なのが多いんだって。途中「ゆんゆん、ゆんゆん、ゆんゆん」なんて合いの手が入ったり。


僕が仰天したのが校歌じゃないけど、千葉県は市川市。市の歌である「市川賛歌〜透明の芯の芯〜」

サビの歌詞がすごいよ、





恋の継ぎ橋を渡る若者の瞳に


尖がり始める少女の乳首の富士




など僕のような俗人にはまるで理解できない。



何人かいらっしゃることは確認済みの市川在住の読者様、



今度、歌ってね。





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